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更新日:2017年8月14日

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平成29年 

平成29年12月「大晦日(おおつごもり)」

 師走の声を聞きますと一層気忙しくなります。今年も押し迫ってまいりました。月隠とは、月の光が全く見えなくなる状態で、陰暦では月末にあたり、一般には月の下旬や最終日を指します。そして、年の終わりの大晦日を〝おおつごもり〞と呼んだりします。
 『最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、良くなったと感ずることである』と、かのロシアの文豪トルストイは言っています。長い一年においては冷汗三斗の失敗もあったことでしょう。しかし、少しでも自己の成長を感じられるのは幸せなことです。小さな積み重ねが将来の成長へと繋がると信じたいものです。
 さて、年末の風物詩「第九」の起こりは、昭和十八年、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)の奏楽堂で行われた出陣学徒壮行の音楽会といわれています。太平洋戦争が悪化する中、満二十歳に達した学生も徴兵令がくだったのです。彼らは入営期限を間近に控えた十二月の初旬、繰上げ卒業式の音楽会で「第九」の第四楽章を演奏しました。多くの尊い犠牲ののち、やがて終戦となり、生きて帰れた者達が別れの際に演奏した「第九」を再び演奏し、友の死を追悼したのでした。今では「歓喜の歌」として根付いていますが、生徒たちにとっては友への「鎮魂歌」でもあったわけです。
 残念ながら、今年も世界では紛争やテロが絶えず、平和な地球ではあり得ませんでした。大晦日の除夜の鐘とともに、すべての煩悩を消し去るのは難しいとしても、年を跨いで突かれる百八つ目の鐘の音は、新たな年への希望として心に留めてはいかがでしょうか。

 〝笑門来福〞…。良い年をお迎えください。

 

 平成29年11月「晩秋」

 〝秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ〞。天智天皇が『後撰集』のなかで詠んだ歌です。「田圃の仮小屋に泊まり、獣が来ないように見張りをしていると、夜も更け、屋根を葺いた苫の目が粗いので、夜露が私の袖に落ちて、着物はだんだん濡れそぼってくる。」といった意味で、農作業で泊まり番をする農民を描いた一首です。夜を徹しての作業に対する悲壮感や疲労感は微塵も感じられず、晩秋の夜の静寂さと透明感がより深く伝わってきます。
 昨今は農業の機械化が進んだ一方で、掛干しや案山子といった田園に良く似合う晩秋の風情が薄まりつつあります。そういった農村の原風景を、かのミレーは「落穂拾い」や「晩鐘」のなかで見事に描ききっています。希代の農村画家の描いたその写実的風景画は、いつまでも色褪せることがなく、類まれなる才能に心奪われます。
 また、詩人で童話作家の宮沢賢治は、農芸科学者としての顔も併せ持っています。岩手県花巻市郊外で開墾自炊生活を送り、羅須地人協会を設立して農業指導に献身しました。賢治は、「生き物はみな兄弟であり、全体の幸せを求めなければ、個人の本当の幸福もありえない」と考え、その生涯において、貧しい農村の生活を改善することに情熱を傾け続けたのです。そして、あまりにも有名な『雨ニモマケズ』のなかで〝褒められもせず、苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい〞という実に深い言葉を残したのです。
 さて、秋は様々な顔を見せてくれます。芸術の秋もその一つです。描くのは難しいでしょうが、鑑賞するもよし、読むもよし。深まる秋にゆったりと浸ってみてはいかがでしょうか。

 

平成29年10月「曼珠沙華」

 稲穂が黄金色に色づき、今年も実りの秋となりました。彼岸の頃を過ぎますと、色鮮やかな花が田んぼのあぜ周りを彩ります。「曼珠沙華」の赤い花です。ヒガンバナ科の多年草で、その名は、サンスクリット語で“天界に咲く花”という意味なのだそうです。
 また、蒲生を中心に、「なた豆」の収穫時期でもあります。そのつるが下から上に伸びてまた元へ戻ってくる習性から、『旅人などの無事の帰着を祈る』という意味が込められており、昔から縁起の良いものとされています。大河ドラマ『篤姫』では、小松帯刀が薩摩から江戸に旅立つ時に、なた豆を手渡されるシーンが記憶に新しいところであります。
 一方では、西南戦争にまつわる哀しいエピソードが伝わっています。薩摩の若い兵士たちのなかには、出兵の際、懐になた豆を忍ばせていた者が少なくありませんでした。「なた豆を持っていれば故郷へ無事戻れる」という言い伝えを信じ、母親や妻が持たせたのでしょう。彼らの多くが生きて帰ることは叶いませんでしたが、祈りのこもった「なた豆」は亡き骸の懐からこぼれ落ち、いつしか大地に芽吹いたのです。戦争終結後、残された遺族たちは山に入り、なた豆のつるを探します。それを目印に、亡き骸を深山から見つけ出したのです。なた豆のおかげで、その言い伝えのとおり、故郷へと帰ること出来た遺骨が多くあったのだそうです。
 さて、秋のお彼岸にお供えするのは、「おはぎ」ですね。春彼岸には「ぼたもち」です。どちらも同じものなのですが、それぞれ「萩」と「牡丹」の花に因むものです。時節によってその呼び方を変えるのは、四季の移ろいに敏感な日本人の豊かな心の表れなのでしょう。

 

平成29年9月「桐一葉(きりひとは)」

 ホスピスケアの先駆者であり、百寿を超えてなお、現役を貫き通した日野原重明医師が大往生されました。享年105歳。穏やかな笑顔で、自分よりも遥かに年下の患者を励まし続けた生涯で、「長寿社会の元気な老人を象徴する存在」でもありました。「桐一葉日当たりながら 落ちにけり」高浜虚子の俳句の如く、ひとつの時代の変わり目を感じさせます。
 戦時中、東京を焼き尽くした東京大空襲では、被災者の治療に携わり、記憶に新しいところでは、オウム真理教地下鉄サリン事件で、理事長を務める聖路加病院において迅速な受け入れにより多くの負傷者を救いました。また、1970年赤軍派が引き起こした「よど号ハイジャック事件」では、客として乗り合わせる等、まさに波乱に満ちており、後の人生に大きな影響を与える様々な体験をしておられます。
 また、無類の音楽好きとして知られ、日本のミュージカル「葉っぱのフレディ」の脚本を手がける等医療に留まらず多才な方でありました。この劇中では、春に生まれた葉っぱが、夏から秋へと人々に憩いを与え、冬に散るまでの短い一生を通して「命の尊さ」と、散ることにより養分となり、次の春には新たな芽吹きとなっていく「命の循環」を表現しています。「命とは何か」を問いかけ続けた先生の人生とも重なり合います。
 そして、人間は寿命というものを生まれながらにして持っており、しかしながら、それを延ばせるのは本人の心の持ち様なのかもしれません。「年を取ること自体が未知の世界へ一歩ずつ足を踏み入れていくこと。こんな楽しい冒険はない。」先生の言葉が心に響きます。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

平成29年8月「夏の果(はて)」

 今年の立秋は8月7日で、大暑から2週間ほど過ぎているのですが、現実的にはまだまだ真夏の様相です。文豪・夏目漱石は、「我輩は猫である」の中で、「こう暑くては猫といえどもやりきれない。皮を脱いで肉を脱いで骨だけで涼みたい」と書いています。いつの時代も差こそあれやはり暑かったのですね。
 夏の強い日差しには向日葵が良く似合いますが、ギリシャ神話に、その太陽を向き続ける習性に因む逸話があります。太陽神アポロンに一目ぼれした海の精が、叶わぬ恋に9日間立ち尽くし、ただ真っ直ぐ太陽を見つめ続け、そして、ついには向日葵へと姿を変えてしまったのだそうです。情熱的な中にも片思いの悲しさがありますね。そしてこの逸話は、向日葵の花言葉「私の目はあなただけ見つめる」に繋がっているのです。
 また、夏を乗り切るにはスタミナをつけることが一番で、昔から土用の丑の日には、鰻を食す習慣があります。これは、江戸時代の蘭学者・平賀源内のアイディアにより、「本日、土用の丑の日」という看板を出したところ鰻屋が大繁盛したことに由来します。多才な源内のマーケティング戦力によりその風習が現代に根付いています。
 さて、今年は蝉の鳴き声が例年に比べておとなしい気がいたしますが、アブラゼミやミンミンゼミの熱い鳴き声から、ツクツクボウシに変わる頃には、いよいよ”夏の果〞へと季節は移ろいます。
 そして”秋近し〞は夏の季語でありますが、残暑のなかにあって、その優しい表現に僅かばかりの秋の気配を忍ばせているのです。

 

 平成29年7月「時間(とき)の流れ」

雨にこそ似合う紫陽花が、しっとりと濡れる姿には風情があります。この花は、元々、日本固有の植物で、長崎に来ていたオランダ人シーボルトが、恋人の「お滝さん」にちなんで「オタクサ」という学名を付けて海外に初めて紹介しました。それが品種改良され、日本に逆輸入されたのが西洋アジサイなのだそうです。

また、雨は地下水や川から海へと辿り着き、やがて、再び雪や雨となる循環を繰り返しています。シーボルトとお滝さんが眺めた紫陽花の雫が、巡りめぐって、現代に降り注いでいるのかも知れないと思うと、地球規模の時間の流れに浪漫を感ぜずにはいられません。

さて、時間に関する、かの天才アインシュタインの「相対性理論」は難解でありますが、時間の感じ方にも相対性があるのだそうです。すなわち、私達が主観的に感じる時間は、脳がどのように働いているかで、伸び縮みし、簡単に言うと、「楽しい時間は短い。苦痛に絶えている時間は長い」と相対的にその長さを感じるのだそうです。

私は、初代市長として市民の皆様の負託を受けて、2期8年が過ぎようとしています。この間の時の流れは、相対的に見て、それは当然ながら、辛く長く感じる時もありましたが、皆様のご理解のもと、職員と共に駆け抜けてきた感があります。この約8年間は、仕事と自分が一体となる一種の「没我(ぼつが)」の状態になっており、気付くと2期目の仕上げの時期に差し掛かっていることになります。残された期間を大事にしながらも、これまで培ってきた行政経験を活かし、発展する姶良市建設のため、粉骨砕身努力を続けてまいります。

 

 平成29年6月「麦秋」

5月末から6月初めの圃場では、ススキを思わせるような麦の穂が風に揺れます。麦が実り、収穫期を迎えた初夏の頃を「麦秋」と呼びます。これは、稲の収穫に準えたもので、雨が少なく乾燥した時季でありますが、入梅を間近にした、農家にとっては短くも忙しい

期間でもあります。

姶良市では、地産地消の推進と生産農家の麦作り復活の意欲により「裸麦」生産の取組が始まっています。平成27年度には「あい裸麦生産組合」が設立され、作付面積の拡大が図られているのです。「裸麦」は、昔から味噌作りには欠かせないもので、地元産の麦を原料にして、市内の加工グループが「はだか麦味噌」のブランドで製造販売しています。ぜひ一度ご賞味ください。

一方、稲作の水田準備が佳境に入る時季でもあります。鹿児島神宮の「御田植祭」は、古来より連綿と守り継がれている農耕に関わる祭事であります。加治木町木田郷と所縁が深く、今年も木田郷で播種された苗が、早男・早乙女によって神宮の神田へと植えつけられ

ました。その際奉唱される田植え歌の一節にある「ユライサライサンザライ」は、豊かに実った稲が風に揺れる様を表現しており、この祭事は、五穀豊穣を祈るとともに、農業の持つ様々な多面的機能に畏敬の念を捧げているのです。

さて、麦栽培の特有な管理作業に「麦踏み」があります。麦は、踏まれることにより、寒さや乾燥に強くなり、茎も太く丈夫になるのだそうです。

長い人生においては、塩が浸むこともありますが、麦に倣い困難を糧にする気概を持ち続けたいものです。

 

 平成29年5月小田原評定

未曾有の災害となった熊本地震から1年が過ぎました。

「月日に関守なし」とはよく言ったものです。しかしながら、4万人を超える方が避難生活を余儀なくされている現実を見ますと、復興の道のりは未だ厳しいものがあります。熊本城の再建も二十余年を要するものとなりますが、復興のシンボルとして、県民に希望を与えて続けてくれることでしょう。

同じく城下に栄える自治体に神奈川県小田原市があります。震災当時、小田原城は、リニューアルオープンを5月1日に控えておりました。天守閣の入場料を全額、熊本城再建のために寄付することを決定したのは、震災発生から僅か4日後の4月20日のことでありました。その時宜を得た善意は熊本市長へと届けられ、被災直後の県民に勇気を与えることとなりました。

本来、入場料収入は小田原城の補修費に充てるものと規定されており、越えなければならない壁が多くあり、何より、寄付には議会の承認が必要でした。議会定例会を待てば、6月を優に超えてしまう状況であったのです。

「小田原評定」とは、「遅々として進まない話合い」のことを指します。豊臣秀吉の軍勢に包囲された小田原城主の北条氏直が、城内での評議が長引いてしまい、降伏せざるを得なかったことに由来しています。その故事を反面教師とした、スピード感のある小田原市と関係機関の行動力と英断には敬服いたします。

さて、今回の震災を教訓に、姶良市庁舎建設が加速することとなりました。何より防災の拠点としての観点からその取組みは急がねばなりませんし、些かの停滞も許されません。

まさに「小田原評定」を肝に銘じて奮励してまいります。

 

 平成29年4月「香り立つ春」

空気の乾燥や冷えた温度により、冬の香りはやや刺々しく感じられ深く吸い込むことはなく、何となく鼻先だけで感じているような気がします。桜咲き誇る頃ともなりますと、気温が上がり、枯れ草から立ち昇る土の肥えた匂いや花々の馥郁とした香りが鼻腔をくすぐります。閉じ込められていた様々な香りが一気に溢れ出すのです。雨降りの朝には、優しさを含んだ透明な香りにも心躍ります。

目には見えない「香り」の、その折々の表情により、季節の移ろいに気づく感性を持ち続けたいものです。

また、この時期は、新学期や新年度そして新しい生活のスタートなど、心引き締まる季節でもあります。しかし、急激な環境の変化は心身ともに微妙な影響を与え、自分自身が感じている以上にストレスが蓄積してしまうこともあります。それは、新しい環境・人間関係・仕事等々、今までとは違った状況に、なんとか自分を適応させようと、普段以上にエネルギーを使って頑張っているからなのだそうです。そんな時は、肩の力を抜いて、香り立つ春の陽光に身を任せてみるのも良いものです。大自然の中では、人間の悩みなど「ちっぽけなこと」なのかもしれません。

さて、昨今、「パワハラ」なるものが社会問題になっています。上司が部下を指導するのは当然としても、ハラスメントとなってはなりませんし、逆に、部下もそこに甘えがあってはなりません。

人は決して一人では生きてはいけないもので、人の皮膚が柔らかいのは、他人の痛みを感じるためだともいわれます。また、二つの氷の塊が、お互いを溶かすことなく交わっていく繋がりが、上下の隔ての無い人間関係と言えるのではないでしょうか。

この春の素晴らしい出会いをご期待申し上げます。

 

 平成29年3月~旅立ちの頃~

春一番とは、「立春を過ぎ、初めて吹く強い南寄りの風」のことで、その条件は地域によって違いがあり、九州では2年ぶりに見られました。春一番という呼び方は、元々石川県や三重県の漁師さん達が使っていたものが転じて気象用語となったのだそうです。この現象を境に暖かい日と寒い日が交互に続き、季節は春へと移ろいます。花冷えの向こう側には春の微かな足音が潜んでいるのです。

また、この季節は、卒業を始めとした旅立ちや別れの季節でもあります。藩政時代からの姿を留める「龍門司坂」は、今で言う国道の役割を果たしていたもので、多くの旅人の足跡をその石畳に刻んでいます。

かの「西郷隆盛」も明治10年、西南の役の際、この坂を上り熊本へと向かったとされています。

この坂の北には「見返(帰)り」の地名が残っています。二度と戻れないかも知れないという覚悟を胸に、故郷を最後に振り返り、惜別の情を断ち切ったのでしょうか。

現在では、都会との距離も大きく縮まり、その意味では自分から心の距離を離してしまわない限り、故郷は思ったより近くにあるものなのかもしれません。それでも、春の足音に紛れて、初めて故郷を後にする期待と不安が交錯した胸の高鳴りが聞こえてきそうですね。

さて、ダーウィンの進化論から派生した言葉に「唯一生き残れるのは変化に適応できるものである」とあります。人生の中では、環境を含めた様々な変化が訪れるものです。失敗を恐れ旧態依然としているより、柔軟に適応していく事は大事なことです。そして、それは適応というより成長と呼ぶべきことなのかもしれません。

旅立つことは、遥か長い道のりを歩き始めることです。しかし、最初の一歩を踏み出したのはあなた自身の決心であったことをどうか忘れないでください。

 

 平成29年2月~風に吹かれて~

2月・如月の頃を過ぎ、梅一輪ほどの暖かさとなる3月初めには、早春の恒例行事として加治木の初市が開催されます。県内3大市のひとつとして天保9年頃からあったと言われ、「初市の風に吹かれると1年間は風邪を引かない」と言い伝えられています。

また、古来中国では、風の流れは人間の体に影響を及ぼすものとされており、その中に潜む「邪気」を体内に引き込んでしまうことにより体調を崩すことから「風邪」と表記し、他の病気と違い「引く」と表現するのだそうです。

さて、昨年のノーベル文学賞は、アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディラン氏が受賞しました。新しい詩の表現を創造した「風に吹かれて」は彼の代表曲です。黒人に対する人種差別の解消を目指した公民権運動やベトナム戦争を背景に、当時の体制に反対する歌として若者の心を強く捉えました。

『人はどれ位多くの耳があれば

人々の悲しみが聞こえるのだろう

どれだけ多くの人が殺されれば

奪った命のあまりの多さに気がつくのか

友よ「答え」は風に吹かれている』

その「答え」とは「神のみぞ知るもの」でも「すぐそこにあるもの」でもなく、そのジレンマにディラン氏の嘆きが込められているような気がします。

風は単に空気の流れなのではなく心に響く重さを持っています。迷った時は、様々な「風に吹かれて」みるのも良いですね。そして、その答えが自分にとって都合の悪いものであっても、目をそらすことなく受け入れる強さを持ちたいものです。

受験シーズン真っ只中。吹く風はまだ冷たいですが、桜咲く頃には春爛漫のやさしい風に吹かれて、笑顔あふれることを願っています。

 

 平成29年1月~新年を寿ぐ~

「寿ぐ」は「言祝ぐ」とも書き、言葉をもって祝い、幸福を招くという意味で使われます。一年の始めである正月は、春の始まりと考えられており、春の訪れがもたらす生命の誕生を心から「寿ぐ」ことは、大変意義深い事です。

初夢は1月2日の夜に見るものを指し、縁起の良いものには、「一富士・二鷹・三茄子」があります。しかし、一般的に夢はそのほとんどを目覚めと同時に忘れてしまっているのだそうです。夢を忘れる仕組はまだ解明されていませんが、一説によると現実と区別するためなのだとか。それでも覚えている夢があれば、それは何か重要なものだとも言えますので、夢占いなどによりその意味を解釈するのも面白いですね。

さて、今年は酉年で、昨年の申年と翌年の戌年に挟まれています。これは、犬猿の仲と言われる双方の仲裁をするためであるとの説があります。世界各地で今も続く内紛や戦争が消滅するにはまだ暫く時間がかかりそうですが、それを現実へと導く強く聡明なリーダーの出現が望まれます。

また、酉年は「酉の市」に見られるように「取込む」に通じ、商売などには非常に縁起がいいものと言われています。また、「果物が極限まで熟した状態で物事が頂点まで極まった様」との由来もあります。日頃努力している事が成就したり、学問や事業で成果が得られる年となるかもしれません。

今年、姶良市は市制施行8年目を迎えます。市として様々なことを「取込む」とともに、市としての風格を整え、更に「成熟」していかなければなりません。市民のみなさまにとって笑顔あふれる一年となることを願いつつ、一意専心してまいります。

 

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