更新日:2026年6月9日
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重富小学校
校章
正門からの外観
重富小学校は、平松城跡に建設された。校地は総延長548.3mの野面積みの石垣に囲まれ、正面の高さ2.5mは、昔日のままの姿で市文化財に指定されている。また、正門の門柱は、大正14~15年にかけ旧県庁のものを移設したものである。

1学校教育目標
「剣の平」に誓う、光り輝く重富の子
目指す子供の姿
し・・・しっかりと自ら考える子供
げ・・・元気で明るい子供
と・・・友達を思いやる子供
み・・・みんなと学び続ける子供
学校キャッチフレーズ
~Well-beingな重富小学校~
2学校経営グランドデザイン
3学校教育活動の様子
4 校区の概要
重富の歴史
平安時代末の頃,重富は蒲生に属していた。鎌倉時代初期に,島津忠久が薩摩守護になって以来,350年余を経た天文23年(1554),15代・島津貴久の率いる島津勢が蒲生方の支城・岩剣城を攻略した。落城後の岩剣城を任された三男・義弘(17代)は,山麓に平松城を築いた。
江戸時代になり元文2年(1737),藩主・島津継豊は,弟・忠紀に越前(重富)島津家を再興させ,帖佐郷の脇元・平松・船津・春花の四村と吉田郷一部の触田村と併せて1万石を与え,重富郷とした。この地名は,鎌倉時代,忠久の二男・忠綱が越前国(福井県)の守護代として治めた領地に由来する。重富島津氏は,忠紀から21代・珍彦まで,明治維新・廃藩置県に至る約130年ほど続いた。その間,平松城に館を,邸を鹿児島城下・鼓川,別荘を鶴江崎の重富荘に構えた。
明治22年(1889年),町村制実施で重富村となる。昭和30年(1955年),帖佐町・重富村・山田村が合併して,姶良町となった。
島津家にゆかりのある学校には,県内外からたくさんの人が見学に来られている。平松城は,篤姫の父である島津斉彬の弟,久光の居城であった。
危険個所マップ
5学校の概要
鹿児島県本土の中央に位置し、白浜、白銀坂、触田と続く姶良カルデラの断層南西端に位置する本校は、古戦場剣之平を目前に牟礼ケ岡(529m)、赤崩(578m)、惣林山(450m)、天ケ鼻(429m)などの市内有数の高山の麓で、国道10号線から西へ1km離れた閑静な場所にある。
校地南側の約8,000平方メートルの森には、梅園、竹林、茶園、柿、柑橘園などがあり、四季おりおりの果実の収穫や野菜の栽培など、総合的な学習の時間に活用している。裏山は子供たち、保護者、地域住民の心のよりどころであり裏山を活用して校区コミュニティと連携した「重富学」を推進している。
校時表
行事予定
校歌
いじめ防止基本方針
学習のきまり・家庭学習の手引き・しげとみの子(生活のきまり)
6学校だより
7PTA活動
8各種様式(ダウンロードしてお使いください)
9学校基本情報
【学校所在地】〒899-5652鹿児島県姶良市平松5636番地
【電話番号】0995(65)2115
【FAX番号】0995(65)2736
【創立年】明治21年開校(創立138年)
【校長】中島伸一朗
【職員数】72人(令和8年5月18日現在)
【学級数】39(特別支援学級15)
【児童数】727人(令和8年6月1日現在)

