更新日:2019年5月29日

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平成31年(令和元年)

1月号の「興味しんしん」はお休みです。

令和元年12月「映画の日

「どんな映画が好きですか?」と聞かれることがあります。その時はきまって「植木等の無責任シリーズと日本一の○○男シリーズ」と答えます。ある年代以上の方々ですと「あぁ、あれね」って分かっていただけると思いますが、若い方々には馴染みが薄いでしょうね。
このシリーズは、日本が高度経済成長期で東京オリンピックが開催された昭和39年前後に大量に制作された喜劇映画です。ストーリーはいつも決まっていて植木等が演じる正体不明の男が会社の中で調子よくトントンと出世していく物語です。
私はその痛快なストーリーも好きですが、それ以上に演ずる役者の背景に映る東京の街並みを見るのが大好きです。このシリーズは外ロケが多く、オリンピックに間に合うよう突貫工事で作った首都高速道路を真知子巻き風の女性をアメ車の助手席に乗せ、渋滞のない首都高を走り抜けるシーンでは、低いビル群が多いまだまだ成長途中の東京の様子が手に取るように分かります。また部長の引越しを手伝うシーンでは、いまや高級住宅の世田谷区が田んぼや畑が広がる田舎の風景で映し出されます。現在とのギャップが大きすぎてつい巻き戻して見てしまいます。まさしく映画そのものがタイムマシーンのようで、60年前の日本が手に取るように感じられとてもワクワクするのです。
12月1日は映画の日でした。たまには映画館で時間を忘れてゆっくりと映画の世界に浸るのもいいですよね。

 

令和元年11月「かごしま国体まで1年」

スポーツの秋。姶良市内でも運動会やスポーツ大会が開催されています。そして、来年は夏に東京オリンピック・パラリンピック、秋には「燃ゆる感動かごしま国体・かごしま大会」が開催されます。本市では成年男女のバスケットボールと女子ゴルフ。そして成年男子のライフル射撃が行われます。
先月、私は職員と共に今年開催の茨城県へ視察に行きました。私の興味は、競技以外にも各市町村が会場周辺で国体をどのように盛り上げ、どんなおもてなしをしているかということでした。町を歩いてみるとのぼり旗、横断幕、国体のマスコット、花いっぱいのフラワーポットなどが国体の雰囲気を盛り上げています。ある駅の改札口前では、観光案内ブースを特設して改札から出る客に国体ボランティアが親しげに声をかけ、アピールしていました。テーブルには国体の情報以外にもグルメ・レジャーなどのガイドブックも置かれ、地域のPRに余念がありません。地元の人たちの熱い思いが伝わってきました。
ふと、来年このような熱いおもてなしができるのだろうか。国体でたまたま訪れた県外の方々にもう一度姶良市に来たいと思わせることができるのだろうか…と思いましたが、私たちが市内での開催競技そして選手たちに全力で愛情を注ぎ、来場者の方々へ心からのおもてなしをすれば、きっと姶良市を好きになってくれると思います。みなさん!国体をチャンスに姶良市ファンをどんどん増やしていきましょう!!

 

令和元年10月「姶良市で“パンめぐ”」

いま、巷では〝パンめぐ〞という言葉が流行しているそうです。どういう意味かご存知でしょうか?〝パンめぐ〞とは…。いろいろなまちの美味しいパン屋さんを巡り歩いて楽しむことなんです。店内でパンを買ったり食べたりすることはもちろんのこと、インスタ映えする写真を撮ることも目的のひとつなんだそうです。若い女性同士や子育て世代の家族が美味しいパン屋さんの情報を仕入れては、わざわざ出かけて楽しむ。これが〝パンめぐ〞なんです。
メディアでは、姶良市は美味しいパン屋さんがひしめき合う『パン屋の激戦区』と言われています。この1・2年だけでも新規オープンやリニューアルオープンした店が数多くあり、全部で約20軒のパン屋さんがあります。姶良市はまさしく〝パンめぐ〞を楽しむのにふさわしいまちなんですね。市内のパン屋さんを覗くと、いつも多くの女子学生や若い女性客で賑わっています。パン屋さん自身も地元の学校や企業とコラボして新しいパンを開発したり、オープンカフェでゆったりとした優雅な時間を演出したりと、激戦区で勝ち抜くためにさまざまな工夫を凝らしています。いまや〝パンめぐ〞は姶良市の代名詞とも言えるのです。市広報紙『アイラビュー』で毎月連載しているプレゼント付きお店紹介コーナーでも、随時パン屋さんも紹介しています。
「休日は姶良市で〝パンめぐ〞!!」。秋の爽やかな一日。流行に乗り遅れないように…。さあ!お出かけしましょう。

 

令和元年9月「観光の新拠点」

帖佐駅前に新しい拠点が誕生しました。姶良市観光協会が設置した観光案内所です(関連記事P12)。
これまでも観光協会はありました。市民ボランティアの方々によって、イベントやパンフレットの作成、フットパスコースの整備など積極的に活動していました。しかしながら、昨今のインバウンド(訪日外国人)の増加や嗜好の高度化などの影響で、今までの体制や戦略では限界がありました。なかでも事業展開の拠点がなかったことから、観光客が多く訪れる土・日や祝日に十分なおもてなしができず、市民から疑問の声があがっていたのも事実です。
姶良市がこれから発展し続けるためには観光分野を無視することはできません。観光協会の皆さんは、これまで多くの先見事例を学び、議論を重ね、姶良市らしい観光協会とは何かを研究してきました。そして先月、待望の観光拠点をオープンさせたのです。イオンに向かう若い人たちが気軽に寄ることかできる気さくさと、話題のパン屋さんやランチ屋さんなどを的確に案内する便利さを兼ね備えたスポットになることを心から期待しています。今後大規模な再開発が手がけられる帖佐駅前で、本市の観光情報発信基地として大いに活躍する「新観光協会」。市民全体で盛り上げ、訪れてくれる観光客に最大のおもてなしをしていきましょう。
ところで、この案内所でも購入できる私のお勧めの一品ですが…地元のばあちゃんたちが作った懐かしいお菓子「ばあちゃんすい〜つ」です。

 

令和元年8月「地蔵盆と盂蘭盆」

お盆です。いつもは実家を離れている子や孫が帰ってきて賑やかなひとときを過ごしているご家庭も多いと思います。家族団らんをたっぷりと満喫してください。
お盆になると忘れられない思い出があります。テレビ局に入社して1年目の夏のある日。社会部デスクから「東京では珍しい『地蔵盆』の行事があるから取材して来い」と指令がありました。「ジゾウボン?」。いったいなんだろうと思い取材現場のお寺に行くと、お地蔵さんに飾り付けし、周りで盆踊りなどをする行事でした。私は「普通のお盆の行事」だなと思い、取材を終わらせ「普通のお盆」としてチャチャっと原稿を書いてデスクに見せました。するとデスクは…読んだあと何も言わず原稿をビリビリッと破ったのです。「なんだ!この原稿は! お前さ、地蔵盆って何か理解しないで原稿を書いているだろ。ちょっとここに座れ! 地蔵盆と盂蘭盆の違いを言ってみろ!」えらい剣幕での詰問に何も言えずにいると…「だから今の若いモンはだめなんだ。地蔵盆も盂蘭盆も知らねぇんだから」と、結局その原稿は破られたまま放送されずゴミ箱へ。とても悔しかったですね。
「地蔵盆と盂蘭盆の違い」が常識的な事柄なのか今でも疑問ですが、お盆の時期になるとこの出来事を思い出します。ちなみに盂蘭盆は、私たちが普通に捉えているお盆。そして地蔵盆は特に関西方面で盛んで、お寺などでお地蔵さんに飾り付けなどをして祀る行事です。もしかしたら、その社会部デスクは関西出身だったのかしれませんね。

 

令和元年7月「美しさに気づき始めた山間地域」

「全日本竹水鉄砲合戦〜夏の陣〜(7月28日/日曜日)」はどこで開催されるでしょう?〝全日本〞というからにはさぞかし大きなイベントではないかと想像します。が、しかし…。実は姶良市の山間地域「北山地区」で開かれるのです。〝全日本〞とは大きく出た大会名ですが、その気持ちはとても雄雄しく、何か吹っ切れていいですよね。今、北山地区はとても元気です。地区のリーダーがぐいぐいと住民を引っ張っています。高齢化率が市内でも高いほうですが、そんな環境でもまったくお構いなし!住民もそのパワーに引っ張られ、数多くのイベントに積極的に参加しています。「道端にはゴミがなかごんせんないかんど!」イベントを開催し市内外から多くの人が来るようになると、誰ともなく呼びかけあい、みんなで地域を綺麗にすることを心がけます。
先日、北山に聳える本市最高峰(約703m)の烏帽子岳に登頂。登山道も頂上も地元の方々によってとても綺麗に整備され、楽しく登れました。下山すると登山道入り口ではアジサイが満開。その数の多さと華やかさに圧倒されました。そんなに多くの人が訪れない場所ですが、いつ誰が来てもいいようにいつも綺麗にしているというのがわかります。お化粧を覚え、自らの美しさを磨き始めた北山。ほかの山間地域にも大きな影響を与えています。姶良市の山間地域がまさにハツラツとして、その美しさを放とうとしています。
いま、大注目です。

 

 令和元年6月「新たな勲章”日本遺産”」

 

 蒲生の武家門通り(蒲生麓)をはじめとする姶良市の9つの文化財などが〝日本遺産〞に認定されました。姶良市にとっては大変名誉なことです。しかし「世界遺産は知っているけど日本遺産ってナニ?」と思う方もいらっしゃるでしょう。まだ、一般的に耳慣れないかもしれません。
 日本遺産とは、文化庁が来年の東京五輪に合わせ、インバウンド(外国人旅行者の誘客)の受け皿として日本の魅力を発信するために認定。昨年度までに全国で67か所。しかし、これまで県内にはひとつもなく、先月ようやく「薩摩の武士が生きた町〜武家屋敷群〝麓〞を歩く〜」というストーリーで、蒲生をはじめとする県内各地の〝麓〞が選ばれました。〝ストーリー〞と書きましたが、日本遺産は単に歴史や文化の価値だけではなく、それを紡ぐストーリー(物語)の存在が大きな認定基準となっています。
 今回のこの日本遺産には、姶良市のほか鹿児島県をはじめ、鹿児島市や出水市など1県9市が含まれています。勇猛果敢な薩摩の武士を育んだ鹿児島の〝麓〞。そこで武士たちが心身を鍛え、農耕に従事し武芸の鍛錬に励んだという生き様=ストーリー(物語)が存在するのです。
 その代表格として選ばれた蒲生の武家門通り。このことを私たち姶良市民が知り、誇りに思うことからはじめ、さらにその素晴らしさを多くの観光客にアピールしていく必要があると思っています。まだ行かれたことのない方。これを機会に訪れてみてください。

 

 令和元年5月「30年前の改元」

「平和の”平”に、成功の”成”と書いて”へいせい”になったよ」「”へいせい”ですか。先生!」「そうだよ。”へいせい”だよ」
 今から30年前の1月7日。昭和天皇が崩御されたその日。テレビ記者だった私は『元号に関する懇談会』に出席された早稲田大学総長の西原春夫先生の車を追いかけていました。元号が何になったかをいち早くスクープするためです。首相官邸から出てきた総長の車は、首都高を走り早稲田大学の駐車場に入っていきました。その時の私は、早稲田大学を卒業したてで入社1年目の駆け出し記者。そしてカメラマンも早稲田の先輩でした。出身大学というそれだけの理由で、当時の総長であった西原先生から〝新元号〞を聞き出すという任務を与えられたのです。
 冒頭のやり取りは、車から降りた西原先生が発した第一声でした。その数十分後に、小渕官房長官が〝平成〞と書かれた色紙をテレビカメラに向けたのです。
 私の平成時代はこのような形でスタートし、あれから30年。平成から令和へ――。私にとって2度目の改元です。今回は、希望と期待に包まれた新しい時代の幕開けにお祝いムードでいっぱいです。一方、30年前は昭和天皇の崩御という厳粛なムードが先行していましたから、新元号へ愛着を感じるのには時間がかかったように思います。
 新時代「令和」。姶良市は令和2年に市制施行10 周年を迎え、新しいステップへと向かいます。これからも市民のための姶良市として、さらに大きく発展していきたいと思います。

 

 平成31年4月「情報発信の源」

去年7月から毎月1回、定例で実施している記者会見。私にとっては姶良市を広く発信する重要なステージです。多くの視聴者と読者を持つ地元メディアは、市民のみなさんの目となり耳となる情報発信の源です。
 「不正やスキャンダルが発生したときも、毎月1回の記者会見は開いてくれますね」と、あるテレビ局のディレクターが最初の会見で聞いてきました。それは予想もしない質問でした。私が定例記者会見を提案したのは、できるだけ多くの人に姶良市の情報を発信するためでしたが、この言葉を投げかけられたとき、定例記者会見を開くということは、時には聞かれたくないことも答えなければならない場面もあるのだと気づかされました。
 メディアと良好な関係を築きながら、多くの情報を発信するのが私の理想です。そのためには、日ごろから私自身が姶良市政に誠実に向き合い「姶良市のために。姶良市民のために」を貫き通していくことが肝要です。メディアは私にとって諸刃の剣。時には牙を剥いてくることもあるでしょう。しかし、私自身が襟を正し実直に行動すれば良い関係が保たれ、姶良市の情報が多くの人に発信されるのだと確信しています。姶良市を広く発信していくという初心を忘れず、2年目も突っ走ります。

 

 平成31年3月「卒業の季節」

卒業のシーズンです。私は、昭和58年(1983)に高校を卒業しました。その時の私は「とにかく東京に出たい。大都会で自分を試したい」という思いで頭がいっぱいでした。
 東京の大学に進学した私は、都会の水に積極的に染まろうと頑なに鹿児島を遠ざけていました。東京に出てきたからには、鹿児島県以外の人やモノに触れていたかったのだと思います。そんな考えですから、標準語のマスターも早かったですし、地下鉄の路線もすぐ覚えました。今思うと私は誰よりも都会に憧れていた超田舎モンだったんです。
 しかし、このような思いは年齢とともに変わっていきます。社会人となり家庭ができ、東京生活も30年ともなると、次第に「故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」という石川啄木の短歌通りの思いが湧き上がってくるのです。近くに鹿児島県出身の人がいれば話しかけ、スポーツで鹿児島代表が勝てば大喜びします。年齢を重ねるごとに故郷は懐かしく思えていきました。
 そして今、機会があって故郷に貢献できる立場を与えてもらっています。一度は大海に出たからこそ、故郷の良いところに気づくということもあります。私はこれからもその目を大切にしていきたいと思っています。今から大空へ飛び立つ若者の希望を摘み取らないよう、そしていつでも帰ってこられるよう、私は、姶良市を誇り高く守っていきたいと思っています。夢と希望を抱き卒業を迎えられたみなさま、誠におめでとうございます。

 

 平成31年2月「成長する姶良市」

姶良市を車で走っていると、少し見ない間にすっかり風景が変わってしまった場所がたくさんありますね。「ここも住宅地になったねえ。今まで田んぼやったとに…」という会話をよく聞きます。市民のみなさんも日々の生活の中で、まるでサナギから蝶に変わっていくような姶良市の変貌を実感されているのではないでしょうか。
 そのような中、最近一番変わりつつあるのは、桜島サービスエリア周辺です。現在、ETC搭載車専用のスマートインターチェンジの早期開通にむけて整備を進めているところです。「前はどんな風景だったっけ?」とわからなくなるほど見事に風景が変わり、着々とインターチェンジとしての姿になってきています。鹿児島市方面や九州・全国への往復がさらに便利になり、交流人口の増加が見込まれます。また、災害時の避難・運搬ルートがひとつ増えたことになり、防災的にも大きなメリットになります。
 しかし一方で、姶良市内ではこれまで以上に交通量が多くなり、渋滞の発生や通学路の危険性も増してくることが予想されます。私たちは、そのための対応もしっかりと考えていくことが重要であると認識しているところです。メリットを大きく、デメリットを小さくしながら最大限に活用できる施設として期待したいと思います。

 

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総務部秘書広報課秘書係

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電話番号:0995-66-3111(212)

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