更新日:2024年4月30日
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森山家住宅
森山家住宅とは
森山家住宅は主屋(おもや)・土蔵(どぞう)・旧作業場からなり、土蔵が平成14年6月25日、主屋が平成18年8月3日、旧作業場が平成19年10月2日に国の有形文化財に登録されました。
(登録文化財とは急激に減少しつつある近代の建造物を保護するための制度で、将来の指定文化財候補を保全する意味を持ちます。)
平成25年8月に登録文化財3件とそれが建つ土地が姶良市に寄付されました。
主屋と土蔵は明治37年建築に建築された建物です。旧作業場は第1期集成館事業の建物を移設したという言い伝えがあり、「ちょうな」で表面を加工した柱材が第1期集成館事業の建物に使われていた部材の可能性が考えられます。
森山家住宅の限定公開(※要予約)を始めました
森山家は江戸時代から明治時代にかけて鋳物(いもの)業で繁栄した加治木の豪商(ごうしょう)です。幕末には磯の集成館で大砲の鋳造にも関わり、薩摩藩の財政を支えた奄美や沖縄の黒糖製造用の鍋を製作・販売しました。
集成館で大砲鋳造に関わった森山伊助の息子3人はそれぞれ鋳物業を営み、それぞれ屋号を「山一」「山二」「山三」と名乗りました。森山家住宅は次男家であり、土蔵の屋根には「山二」の屋号が書かれています。
姶良市では、森山家住宅の整備・公開工事を行い、森山家の歴史や明治維新に関わる展示スペースを設けました。
今は事前予約制(※以下「見学について」を参照)の限定公開ですが、今後観光拠点としてフルオープンに向けた準備を進めています。
森山家住宅の見どころ
主屋
明治37年(1904年)に建設されました。主屋は居住空間としてだけではなく、商談や賄いのためにも使っていました。主屋の東半分(庭側)を客人用、西半分を私用と公私の空間を明確に分けており、商業を営む上で合理的な造りといえます。広く庭に面した座敷の構造は武家屋敷を手本にした造りとなっています。
縁側(えんがわ)や欄間(らんま)など、至るところに屋久杉材をふんだんに用い、造形の細やかな欄間は既製品ではなく、住宅の寸法に応じた特注品を使用しています。次の間に残る釘隠(くぎかくし・横木の柱に打ち付けた釘を隠す装飾)には、森山家が鋳造したものが使用されています。
土蔵
主屋と同じ明治37年に建設されました。外壁は石壁を積み上げて改良を図っているのが特徴です。庇(ひさし)を支える「持ち送り」と呼ばれる部品は鋳物師(いもじ)の家だからこそできた優品で、再現することが困難であると評価されています。
土蔵は南蔵と北蔵の2室に分かれており、北蔵では森山家所蔵の貴重な品々や、森山家にまつわる歴史資料を展示しています。
旧作業場
旧作業場の建設時期は分かっていませんが、島津斉彬が嘉永4年(1851)に興した第1期集成館の建物を移設して作られたという言い伝えがあります。集成館の建物は文久3年(1863)の薩英戦争で焼けてしまい、現在磯の集成館跡には、建て直した後の建物だけが残っています。
柱材は新旧の材が混ざっており、低い建物から高さのある建物へ改築されています。古い柱材には「ちょうな」で加工した痕がみられます。工場の新築にともない、集成館の建物で使用された柱材を譲り受けた可能性があり、事実ならば世界遺産に関係する建物が加治木にもあるということができます。
建物内では、森山家と集成館事業の関わりや加治木の商業史についての解説パネル、森山家南側の敷地で発掘調査により出土した鋳型(いがた)や鉄滓(てっさい)などを展示しています。
見学について
外観はいつでも見学が可能です。
内部の見学をご希望の場合は、現在、平日午前9時~午後5時までの時間で見学いただけます。但し、2週間前までに市教育委員会社会教育課文化財係に連絡し、予約が必要です。
※予約状況により、日時の調整をお願いする場合があります。
なお、ご予約いただいた場合は市職員または歴史ボランティアガイドが現地で解説します。
アクセス
住所:姶良市加治木町朝日町172番地(国道10号線加治木朝日町交差点そば)
駐車場:森山家住宅敷地南側に駐車スペースがあります。進入経路については、【森山家周辺広域・詳細図】をご確認ください(※マイクロバス進入可)。
<森山家位置図>