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更新日:2024年1月25日

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有形文化財

姶良市には市指定の有形文化財が72件あります。ここではその一部を紹介しています。

 一節切(ひとよぎり)〔市指定有形文化財〕

一節切(ひとよぎり)(JPG:89KB)

竹製の縦笛で、節を一つ含むのでこの名があります。一般に16〜17世紀に盛行した尺八の一種です。この一節切は米良家の伝世品で、島津義弘ゆかりの笛と言い伝えられています。

所在地:鹿児島県姶良市東餅田498歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)

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 三十六歌仙額(さんじゅうろっかせんがく)〔市指定有形文化財〕

三十六歌仙額(JPG:210KB)

島津義弘は慶長の役(慶長2年)への出兵や関ヶ原合戦(慶長5年)からの帰国にあたり、帖佐新正八幡神社へ参詣しています。この三十六歌仙額は慶長9年に祈願成就の御礼の気持ちを込めて奉納されたものと考えられます。元は神社の拝殿に掲げられていましたが損傷が激しいため、現在は歴史民俗資料館に保管されています。

所在地:鹿児島県姶良市東餅田498歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)

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 帖佐来歴(ちょうさらいれき)〔市指定有形文化財〕

帖佐来歴(JPG:213KB)

薩摩藩の歴史学者である伊地知季安(きあん)が文政13年(1830)にまとめた帖佐の歴史や地誌の草稿本です。帖佐の歴史に関する様々な事柄を12項目に分けて記述してあり、当時の様子を知ることのできる貴重な資料です。

所在地:鹿児島県姶良市東餅田498歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)

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 黒島神社石橋(くろしまじんじゃいしばし)〔市指定有形文化財〕

黒島神社石橋(JPG:223KB)

幕末に鹿児島城下の甲突川へ五大石橋が架けられる以前、天明4年(1784)に黒島神社境内の川に架けられた、長さ6.1m、幅2.3m、高さ4.36mのアーチ型の石橋です。橋の袂には架橋の由来を記した石碑が建っています。

所在地:鹿児島県姶良市上名621-3(外部サイトへリンク)

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漆康永板碑(うるしこうえいいたび)〔市指定有形文化財〕

漆康永板碑(JPG:196KB)

南北朝時代の康永4年(1345)に造立された2基の板碑です。蒲生町漆の中村集落には、かつて「デグ寺」という寺院があったと伝承されており、板碑と同じ場所にある永仁7年(1299)銘の五輪塔(市指定有形文化財)とともに、かつて漆に仏教文化が花開いていたことを物語る貴重な文化財です。

碑面の中央にはそれぞれ仏を表す梵字が刻まれていて、「比丘尼如觀」という尼僧の極楽往生を願い、死後四十九日(写真左)と百日(写真右)の追善供養のため造られました。

所在地:鹿児島県姶良市蒲生町漆90-1(外部サイトへリンク)

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竹牟礼遺跡出土槍先形尖頭器(たけむれいせきしゅつどやりさきがたせんとうき)〔市指定有形文化財〕

竹牟礼遺跡出土槍先形尖頭器サムネイル(JPG:42KB)

竹牟礼遺跡は蒲生町漆の盆地北西部、標高165mの丘陵裾部に位置し、この尖頭器は昭和24年(1949)に漆小学校の児童が遺跡内から偶然発見したものです。旧石器時代終末から縄文時代初頭(15,000~10,000年前)のものとみられ、両面に加工が施された木葉形をしており、木製の槍の先端に装着して使用されたと考えられます。

現時点で姶良市最古の遺物であり、鹿児島県でも類例が少ないことから、南九州における尖頭器文化の研究を進める上で重要な資料といえます。

所在地:鹿児島県姶良市蒲生町漆 個人宅

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宇都窯跡出土品(うとがまあとしゅつどひん)〔市指定有形文化財〕

宇都窯跡出土品1サムネイル(JPG:1,474KB) 宇都窯跡出土品2サムネイル(JPG:1,344KB)

宇都窯は現存する薩摩焼最古の窯で、島津義弘が朝鮮出兵から連れ帰った陶工・金海に命じ、帖佐館の北西に築かせました。

窯跡周辺からは茶道具(抹茶碗・茶入・水指・蓋)と窯道具など82点が出土していて、特に抹茶碗は白色粘土を用い、多様な形のものが作られていることが特徴です。また、茶入には後に続く御里窯で作陶されたものと共通する技法がみられ、義弘が嗜んだ茶の湯の文化を語るうえで貴重な資料となっています。

所在地:鹿児島県姶良市東餅田498 姶良市歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)

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 牟礼前の薬師如来木像(むれまえのやくしにょらいもくぞう)〔市指定有形文化財〕

牟礼前の薬師如来木像(JPG:307KB)

薬師如来とは、人々を病気の苦しみから救ってくれると信仰されている仏です。この仏像が造られたのは、約450年前の「弘治3年(1557)8月」で、『川中島の戦い』や『桶狭間の合戦』と同時期に当たります。

製作者は、岩屋寺の僧と思われる「深賢快重」、製作依頼者は、「岩屋門乙名六郎五郎、妻、息子」とこの木像の胎内に収められた文書に記されていました。

所在地:鹿児島県姶良市加治木町木田3476(外部サイトへリンク)

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 岩屋寺跡(いわやじあと)

岩屋寺跡(JPG:226KB)

岩屋寺がいつ頃造られたか不明ですが、10世紀後半という史料もあり、県内でもきわめて古い創建と考えられます。広大な寺領があったと言われ、現在でも岩崖を掘り安置している頼昌法印像や鎌倉時代の作といわれる不動明王像〔市指定有形文化財〕が残っています。島津義弘も長子鶴寿丸の肖像を阿弥陀如来として安置したといわれています。

所在地:鹿児島県姶良市加治木町木田3641(外部サイトへリンク)

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 精矛神社(くわしほこじんじゃ)

精矛神社(JPG:298KB)

精矛神社は島津義弘を祀った神社です。大正7年の三百年祭にあたり、島津家の別荘地であった現在地に護国神社のある場所から造営遷座しました。

ここには、椿窓寺の鳳山和尚が文禄の役の時、朝鮮より持ち帰った手水鉢と石臼〔市指定有形文化財〕が残っています。また、松岳和尚が島津義弘の武運長久と子孫繁栄を願って法華経1万3千部を読んだことを記念した石碑があります。

所在地:鹿児島県姶良市加治木町日木山308-1(外部サイトへリンク)

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 城野神社仕明地記念碑(じょうのじんじゃしあけちきねんひ)

城野神社仕明地記念碑写真(GIF:41KB)

木津志の城野神社境内に建つ高さ194cm、奥行90・5cmの石碑で、四面に碑文が刻まれています。

碑文には、江戸時代の中ごろに行われた城野神社の社殿改修について、藩との経費補助の交渉がうまくいかないため、村内に仕明地(=郷士が自ら開墾した田畠)を設け、その収益を経費にあてた経緯や担当者の職氏名などが克明に書かれています。

このような石碑は県内にも他に類例がなく、当時の木津志村や蒲生郷の状況を伝える貴重な史料です。

所在地:鹿児島県姶良市木津志1879(外部サイトへリンク)

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蒲生御仮屋棟札(かもうおかりやむなふだ)〔市指定有形文化財〕

蒲生御仮屋棟札1(JPG:480KB)

江戸時代、蒲生郷の役所であった地頭仮屋が文政9年(1826)に再建された時の棟札で、寸法は幅52㎝、高さ215㎝、厚さ9mmです。およそ2,800字におよぶ墨書の中に、蒲生の歴史や江戸時代後期における蒲生郷の統治の様子、武士が集まって暮らした「麓」と呼ばれる地区の移転など、数多くの重要な情報が記された大変貴重な史料です。

所在地:鹿児島県姶良市東餅田498 姶良市歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)

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前田遺跡出土編組製品(まえだいせきしゅつどへんそせいひん)〔市指定有形文化財〕

 前田遺跡出土編組製品1サムネイル(JPG:595KB)前田遺跡出土編組製品2サムネイル(JPG:1,764KB)前田遺跡出土編組製品3サムネイル(JPG:1,594KB)

前田遺跡は、約8,200年前のマグマ水蒸気爆発で形成された火口湖の住吉池から南東側に広がる傾斜面に立地する遺跡です。令和元年11月から翌年8月にかけて実施した発掘調査では、低湿地部から縄文時代中期後半(約4,500年前)の土坑72基を検出し、内部および周辺で県内初となる編組製品14点が出土しました。

これら編組製品には現代までつながる製作技法(もじり編み・ござ目編み)がみられ、その希少性だけでなく、当時の自然環境や植物資源利用をうかがえる極めて重要な資料です。

所在地:鹿児島県姶良市東餅田498 姶良市歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)

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県・国指定文化財

国登録文化財

お問い合わせ

教育委員会社会教育課文化財係

899-5294 鹿児島県姶良市加治木町本町253番地

電話番号:0995-62-2111(211)

ファックス番号:0995-62-3699

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