更新日:2025年8月14日
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令和7年
55年ぶり“聖地”移転~加治木町くも合戦大会~
「くも合戦」は、戦国大名・島津義弘が戦いの際、陣中の兵士たちを元気づけるためにコガネグモを集めて戦わせたのが始まりとされています。「加治木町くも合戦大会」として始めたのが1914年(大正3年)。それから今年で111年。先月15日に1が3つ並ぶ縁起のいい第111回大会として開催されました。去年までは加治木福祉センターでの開催でしたが今年からは新築の加治木支所内にある「あみかけスクエア」に移転。55年ぶりの本拠地移転に会場は例年になく新鮮な雰囲気とともに賑やかな活気で満ちていました。この大会は、昭和45年から55年間「加治木福祉センター」の2階で開催されていました。それ以前は加治木の街中のいろいろな会場で行われていたことが記録に残っています。
1914年(大正3年)の第1回大会は、現在の網掛川公園そばの青少年学舎「有為舎」という場所でスタート。そして1923年(大正12年)には港町の「霧島八坂神社」の境内。次の年は蒲生田通りの「西町角」。戦前はさらに「天神公園」の境内や港町の「劇場加治木座」と会場が変遷しています。加治木のまち全体を使って開催されたというのが想像できます。太平洋戦争中は中止でしたが、戦後すぐの1946年(昭和21年)に「天神・菅原神社」で復活しています。当時の加治木の人々の「くも合戦」にかける情熱を感じます。そして、1970年(昭和45年)「加治木福祉センター」に場所が移動し、それから55年の長きに渡って伝統行事の〝聖地〟となりました。
今年の大会から「あみかけスクエア」が会場になりました。これからも新しい「くも合戦の〝聖地〟」として50年・100年とみんなに愛される会場であることを期待したいと思います。
新しい“愛称”で呼んでね~市役所多目的ホール~
新庁舎の開庁1周年を記念して、姶良本庁舎と加治木支所の3つのホールに新しい名前が付きました。姶良本庁舎1階の多目的ホールは「あいらスクエア」、5階ホールは「あいらスカイビュー」、加治木支所の多目的ホールは「あみかけスクエア」です。市民の皆様から募集し100を超える応募の中からそれぞれの特徴を表す親しみやすい名前が選ばれました。
「あいらスクエア」は、いつでも集える使いやすい場所として多くの市民の皆様に親しまれる名前です。「あいらスカイビュー」は美しい桜島と錦江湾が一望できるホッと一息つける場所にふさわしい名前。そして「あみかけスクエア」は支所の近くを嫋やかに流れる網掛川にちなんだ加治木の皆様にはお馴染みの名前です。どれをとっても素敵な名前でありまして考えていただいた3人の方々には感謝状と副賞をお渡ししました。これから姶良市の拠点として長く市民の皆様に親しまれることを期待しています。
このことは様々なメディアでも取り上げられました。市役所の多目的ホールの愛称決定でニュースになることは珍しいことですが、それくらい姶良市がメディアをはじめ各方面から注目される地域であるという証左ではないかと思っています。
それぞれのホールは、市民の皆様が企画するイベントで使用することができます。個人・団体は問いませんが、それには少しばかりのルールとお約束事があります。ご利用したい方は、まずは姶良市のホームページで確認をしてください。これからたくさんの方々に気持ちよく利用してもらうよう努め、それぞれの愛称が親しみをもって呼ばれることを願っています。
5月から、さらに便利に~本庁舎“新”2号館~
姶良市役所本庁舎がスタートして、早いもので今月で丸1年が経ちました。市民の皆様のご理解とご協力のおかげで大きなトラブルもなく順調に業務を遂行できています。心より感謝申し上げます。
そして、改装工事を終えた“新”2号館が今月からスタートし、とても便利に生まれ変わりました。これまで別々の場所にあった6つの相談窓口を″新〟2号館の1階に集約し、市民の皆様が抱えている様々な相談事に対してワンフロアで対応する体制を作りました。すでに今月7日から稼働しており、いろいろな相談に対応できる状態になっています。
集約された相談窓口は、①市民の皆様の悩みに応じ適切な窓口を案内する「市民相談」②高齢者が安心して暮らせるようサポートする「地域包括支援センター」③障がいのある方やその家族の暮らしをサポートする「あいか」④18歳未満のお子さんと、その家庭の様々な困りごとに対応する「あいぴあ」⑤困難な問題を抱える女性を支援する「女性相談」⑥消費生活に関する相談や解決への助言を行う「消費生活センター」の6つです。
プライバシー保護に対して十分に配慮しながら、6つの専門窓口がワンフロアで連携し市民の皆様の課題に対して、より包括的に支援を行います。いま姶良市は、多くの方々に住む場所として選んでいただき人口が増え多様性が生まれています。それぞれの悩みごとや困りごとも多岐にわたります。このような体制を整えたことで、これまで以上に市民の気持ちに寄り添い、すべての方々が安心して暮らせるようなまちになることを目指していきます。安心してご活用ください。
新年度“なぜ4月”から?~鹿児島の偉人が関与~
4月はとても心が弾みます。新年度のスタートですね。新しい環境で心機一転「さあ、やるぞ!」と元気が出ます。さて「4月から新年度」というのはいつ始まったのでしょうか。国立公文書館の資料によりますと、鹿児島出身で明治時代に総理大臣を歴任したある偉人が関係しているということなんです。
「年度」の考え方は明治時代の「会計年度」が元になっています。しかし、新年度スタートは初めから4月ではなく、明治2年に10月スタート。明治6年には1月。明治8年からは7月と何度か変更されました。
新年度スタートが7月だった明治17年。その当時の日本は軍事費が激増し収支の悪化が顕著になっていました。当時の大蔵卿(現在の財務相)だった「松方正義」は任期中の赤字を削減するために、当時よく行われていた次年度の予算の一部を今年度の収入に繰り上げる施策を実施したというのです。当時よく行われていたということも信じられないですが、現代に同じことを実施したら厳しく非難されそうです。兎にも角にも「松方正義」は、そのために明治19年度の「会計年度」のスタートを7月から4月に変更し、予算のつじつまを合わせました。こうして「会計年度」は4月スタートとなり、それに合わせて学校などの新年度も4月になりました。
「松方正義」は元薩摩藩士。明治時代に内閣制度が発足してから通算10年以上も大蔵卿を務めた財政のプロです。そして明治24年第4代、明治29年第6代と内閣総理大臣を2度歴任した鹿児島出身の偉人です。新年度を迎えた今、4月スタートの経緯に鹿児島の偉人が関係していたと知ると一味違う春の風景が見えたような気がします。心機一転!頑張っていきましょう。
光陰矢の如し。もう年度末~今の気持ちを大切に~
つい先日、新年になり「今年も良い年であるように」と初詣をしたばかりですが、もう年度末になりました。日本人にとって、年度末もまた心機一転し気持ちを入れ替えられる良い機会です。
私は民間企業の会社員でした。そのまま勤めていたら、この3月で定年退職を迎える年齢です。一緒に入社した同期のほとんどが定年を迎えました。いまは定年延長という制度の下、希望すればこれまでの肩書や役職を解かれ一社員として働くこともできます。もし、私だったら希望して定年延長するだろうか…。悩んでいたかもしれません。私は48歳の時にその会社を辞め姶良市長選挙に挑戦しました。以前にも小欄で書きましたが、その時には「このままサラリーマンを続けて12年後に定年退職を迎えるより、今やりたいことにチャレンジして60歳を迎えたほうが後悔しない」と強く思っていました。そして12年経ち、今年60歳になりました。
最近「とうとうこの瞬間を迎えたか」という気持ちが心を覆います。「12年前に思っていたことに後悔していないか?」ひとりの時にフッと考えることがあります。確かな答えはまだはっきりとは見えませんが、あの時選んだ道は間違いではなかったと確信しています。定年退職を迎える年になってもなお、仕事にやりがいと責任を感じられるのはとても幸せなことだと思うのです。私への評価は千差万別だと思いますが、まずは自分自身がやる気を持って仕事に臨むことが重要だと言い聞かせています。定年退職、卒業、異動、転職…この春、転機を迎える皆さん!心から応援します。今の気持ちを大切に!
いま、姶良市は飛躍の年~15周年を迎えて~
今年は姶良市市制施行15周年の節目の年です。昨年は姶良本庁舎と加治木支社が新しく開庁し、姶良市の新たな時代がスタートしました。来年には蒲生支所が新しくなり、約10年に及ぶ大事業が完結します。15年目を迎えるいま、姶良市は飛躍の時を迎えています。
最近では姶良市に対する外からの評価も高く、姶良市に興味を持つ方々が多くなっています。毎年人口が増え、子どもたちが多く住み、明るい元気な声が響く活気に溢れるまちになっています。この良いイメージが定着しブランド化していく大きなチャンスなのです。しかしながら、道路や街灯などのインフラ整備や防災に対する構えなどまだまだ未熟な部分が多いのも事実です。今年15周年を迎え、未熟な部分の一つひとつを成熟に向けた施策を展開しながら成長していくことが必要だと思っています。
今年は「巳」年。ヘビ年です。「蛇」が使われた故事成語に「常山の蛇勢」という言葉があります。常山に住むヘビは頭を打てば尾が助け、尾を叩けば頭が助け、胴を叩くと頭と尾が襲い掛かるように身体のすべてを使って攻撃したという喩えから「全体が一丸となり統一が取れていて欠陥や隙間がまったくないこと」「どこをとっても整然として、お互いに呼応して前に進む」という意味です。まさに姶良市の望む姿です。
飛躍の時を迎えるいま。常山のヘビの如く、私たちが一丸となって様々な課題に向かい、成熟に向けた成長をめざし、さらに大きく飛躍する一年にしていきましょう。