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更新日:2016年5月16日

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クローズアップ


My Hometown "AIRA"

 

 

良ふるさと大使
西田


NISHIDAAI

西田あい1

姶良人スペシャルインタビュー姶良市出身歌手~西田あい~」

ふるさとへの想いを胸にうたう――。


哀愁のある、どこか昔懐かしい歌謡曲を歌い継ぐ姶良市出身の歌手・西田あいさん。3月中旬、コンサートで来鹿した際にインタビューを行い、歌手になったきっかけ、そしてふるさと・蒲生での思い出について語っていただいた。

 

蒲生のパワースポット大楠の傍で駆け回った幼少期


 

「私は蒲生出身で幼い頃から目の前にずっと日本一の大楠がそびえ立っていて、すぐそばにあるのが当たり前だったんです。一回ふるさとを離れて東京に出てから、改めてその存在の大きさを感じました。私にとっては蒲生に帰るたびに訪れたくなるパワースポットで、幼い頃から何気なく遊んでいた場所だったので、大楠のある八幡神社は私にとって大切な場所です。」

 

西田あい2

 

幼い頃は当たり前のようにいつも大楠のそばにいて遊んだ。今は触れることはできないが、昔は幹にしがみついたり、中に入ったり――。とても身近な存在だった。西田さんにとって大楠は家族のような存在だという。

 

ふるさと・蒲生での思い出


 

「私がまだ小学生くらいの頃、当時は地域のイベントがたくさんありました。地区対抗のイカダ下りの大会があって、それが一番思い出に残っています。私は水泳ができたので、川に入ってイカダを押す係でした。ゴールに近づくにつれて、傷だらけになるし、体は冷えてくるし、気持ちも折れそうになるんです。ゴールではお母さんたちがおにぎりを作って待ってくれてて。それを見た瞬間に、ゴールできた喜びとお母さんが待っててくれた安心感で、子どもたちはみんな泣いてしまうんです。すばらしい経験をさせてもらったと思います。当時、そういう企画をしてくださった地域の方々に本当に感謝です。」

 

西田あい(加工5)

 

子どものころは加治木饅頭をよく食べていたという西田さん。今でも加治木饅頭は大好きなのだそう。

また、実家近くのそば屋さんのいなり寿司とお饅頭もお気に入り。家族がそばを食べていても、西田さんは一人でいなり寿司とお饅頭を食べていたのだとか。

声が低く、髪も長くなかったので、よく男の子に間違われた。学校から帰るとランドセルを置いて、すぐ遊びに行っていたのでほとんど家にいなかったという。

西田あい(小学生)

韓国からの学生ホームステイお見送り時。

小学5年生の頃の西田さん。

提供/株式会社GPR

 

人生の転機となった恩師の言葉


 

言葉が通じなくても伝わったときの感激、感動――。

小さい頃からぼんやりと「芸能界に入りたい」「華やかな世界でステージに立ってみたい」という希望はあった。しかし、そんなに現実は甘くないと冷静な自分もいて、ゆくゆくは海外を股にかける仕事にとニュージーランドの高校へ語学留学した。

留学先のニュージーランドでは言葉の壁にぶつかった。自分は日本人だし、都会ではない鹿児島の出身ということもあって、なかなか自己表現ができずにいた。

そんなときに当時の先生から、ある提案があった。

”あい、あなたは歌が好きなんだから、今度の朝礼でみんなの前で歌ってみたらどう?”

不安になりながらも全校生徒の前で日本語の歌をそのまま歌った。

すると、全校生徒からのスタンディングオベーションを浴びた。

言葉が通じなくても声に乗せた気持ちや想いは伝わるんだ――”

そう思ったときに歌手になりたいという気持ちが大きくなっていった。

卒業までの期間は残っていたが、帰国して本格的に歌の勉強を始めようと決心した。

 

西田あい4

 

「ニュージーランドでは選択の授業があって科目を選ばないといけなかったんです。そのときに美術とか音楽を選択して、その授業を見てくださってた先生が声をかけてくださって。よく見てくださってたなと思います。」

 

歌謡曲との出会い


 

ニュージーランドから帰国すると、ボイストレーニングのスクールに通った。最初は今時のポップスを学んでいた。

ある日、先生からこのような言葉をかけられた。

”声の雰囲気的に、ポップスより歌謡曲の方が合うんじゃないだろうか。”

そのときにもらったMDで歌謡曲と呼ばれるものを初めて腰を据えて聴いた。

それまでは歌謡曲に対しては古いものというイメージがあり、自ら聴こうとしたことは無かった。

 

西田あい(加工2)

 

「聴いた瞬間に電気が走るような衝撃を受けました。いろんなジャンルの音楽要素が詰まり、遊び心があり、ドラマが詰まった3分間に魅力を感じました。そこからは歌謡曲にのめり込み、いつしか自分で歌っていきたい。そう思うようになりました。」

 

 

鹿児島弁


 

東京でも流暢な鹿児島弁を話す西田さん。関東のラジオ番組でも鹿児島弁で3時間は話すそう。そのラジオを聴いた関東在住の鹿児島出身の方からお便りやメールを頂いたりすることもあるのだとか。

 

 

「祖父母と同居していましたので、身近で鹿児島弁を聞いてたのが一番の影響だと思います。また、実家が薬局なので、いらっしゃったお客さんと話をしたり、近所のおじちゃんやおばちゃんと交流していくなかで自然と学びました。鹿児島弁は地域の人に教えて頂いたんです。」

 

しかし、上京したての頃は慣れ親しんだ鹿児島弁ではなく、無理に標準語を話そうとして少し悩んだ時期もあった。

 

西田あい(加工1)

 

「最初は頑張って標準語を使っていました。でも、みなさんの表情を見てたら”あ、訛りがでた。田舎の子なんだ。”という目をされることもあって。そう思われるくらいだったら”もう話したくない”と。もともとお喋りが好きなのに、口数が減って、どんどん暗くなって、自分が自分じゃないみたい、そう思う時期もありました。そんな私を見かねた事務所の方が“大事なふるさとの言葉なんだし、ありのままでいいじゃない。上京したからって訛りを直す必要なんて無いよ。”と言って下さいました。」

 

上京してレッスンに明け暮れる日々も、前向きに捉えてつらいと思ったことは無かった。しかし、都会の言葉にだけはなかなか馴染めなかった。

事務所の方のアドバイスと持ち前の明るさで、少しずつ標準語と鹿児島弁を使い分けられるようになっていったという。

 

 

これからの夢――。


 

 

コンサートやテレビ番組の収録で全国を飛び回る西田さん。夢は歌謡曲の魅力をいろんな人に知ってもらうこと、そして歌謡曲を歌い続けていき、メモリアルイヤーには西田さんにとって大切な場所・加音ホールでコンサートをすることなのだそう。

 

 

「私自身も歌謡曲の魅力を知ってから、自分のなかでの世界観が広がったり変わったりしました。歌謡曲を聴いたことがないという人にも聴いてもらえるような活動がしたいです。また、姶良市が誕生した年と私がデビューした年は同じ。30周年、50周年となったときに加音ホールでコンサートをして、みなさんに感謝の言葉を伝えられたらいいですね。」

 

 

 

 

姶良市らしい街づくりを

歴史のあるものがたくさん残っている

新しいものも取り入れて、どちらも大切にしたポジティブな街づくりを

 

 

西田あい4

「最近では加音ホールでのコンサートに東京などからファンが駆け付けてくださいます。コンサートを通じて、もっと姶良の魅力を伝えていけたら。」ふるさと大使としての意欲ものぞかせる。

 


 

西田あい(加工3)

にしだ


 

鹿児島県姶良市生まれ。蒲生小学校出身。その愛らしいルックスとそれに相反する力強い歌声で各世代に幅広いファン層を持つ。2010年7月、デビューシングル「ゆれて遠花火」でデビュー。平成22年度日本クラウンヒット賞新人賞を受賞し、全国各地でのコンサートや、ラジオのレギュラー出演など歌手活動の他にも幅広く活躍中。2010年9月、姶良ふるさと大使に任命され、ふるさと・姶良の地域活性・PRにも取り組む。

【西田あいさん公式ホームページ】

http://www.ai-official.jp/(外部サイト)

 

 

マイホームタウンアイラ~西田あい「蒲生(かもう)」~

3月中旬に故郷の鹿児島でコンサートを行った西田あいさん。生まれ育った姶良市蒲生の思い出について語る。(2016年3月撮影)

 

西田あいさんが語る、ふるさとキーワード


 

 

お問い合わせ

総務部秘書広報課広報広聴係

899-5492 鹿児島県姶良市宮島町25番地

電話番号:0995-66-3111(227・228)

ファックス番号:0995-65-7112

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