ツッコミ担当のパイナップルつばささんとボケ担当の楠さんの同級生漫才コンビ「突撃パイナップル」(吉本興業所属)。鹿児島県の〝住みます芸人〞に就任し今年3年目を迎えた。
現在、県内を中心に数万人を集客する祭りやイベントの司会業、そしてテレビなどで活躍中の二人をクローズアップする──。
フュージョンした幼なじみ
二人は小学生までは、もともとお互いの存在は知ってはいたものの、単なる同級生止まりで、深い付き合いは無かったという。中学生になり、たまたま部活動(テニス部)も同じになり、徐々に交流を深めはじめた。
映画の好みや実家のネタなど、話せば話すほど多くの共通点が見つかり〝同じ匂いのするヤツ〟と出会ったと次第に意気投合して親友になった。
同じ高校を卒業後、楠さんはコメディアンの夢を抱きながら大手飲料メーカーの会社員へ、つばささんは幼稚園の教諭だった姉の影響を受け、短大を経て長崎で保育士へと、それぞれ別の道を歩みはじめた。
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「ハリウッド俳優でコメディアンのジムキャリーのようになりたい」と小学生の卒業文集に書き記すほど、少年時代から人を楽しませることを職業にしたいと夢見ていたと楠さん。
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楠さんは就職して3年が経ち、大阪の俳優学校に進学するため会社を退職する予定でいた。
一方、保育士以外にも調理師のほか、日本茶検定1級や茶道(鎮真流初伝)など多彩な資格を持つつばささんは、鹿児島に戻り、地元で再就職を思案していた。
「長崎の短大時代から茶道も好んでしていましたので、お茶か、保育士の道か、鹿児島にUターンしてどちらかの道に進もうかとちょうど迷っていた時期でした」と話す。
芸人への道
21歳の正月、二人は久々に連絡を取り合い、地元・姶良で再会した──。
次の人生設計をお互いが考えていた時期でもあり、将来について重富温泉の湯船に浸りながら語り合った。そこで合致した次のステップが「芸人」であった。
「楠は自分でこれと決めたことに対して真っ直ぐ進むタイプ。僕とは良い意味でいろいろな部分がズレている人間。興味のアンテナが広く、僕では絶対にひらめかない意見や発想がポンポン出て、尊敬するところは沢山あります」とつばささん。再会時、楠さんと話し合う中で、将来の選択肢として大阪で芸道を進むのもありなのかもしれないと感じ、つばささんも芸人として歩むことを決めた。
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「若いうちに経験できることはしたかった」と語るつばささん。親友とのコンビ結成は何よりも将来のポテンシャルを感じたという。
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実は中学、高校の頃から、楠さんはつばささんのキャラクターに惚れ込み、コンビで芸人をめざさないかと度々〝求愛〟していた。「誘うといつも、やんわりと断わるんですよ(苦笑)」と楠さん。
学生時代からの念願だったコンビが誕生することになり、強力な相棒を得た楠さんは俳優学校ではなく、つばささんとともに吉本興業に進むことを決めた。コメディアンになるための一番近いルートだと判断したからだ。
二人は早速大阪へ飛び、吉本興業の養成所で1年間の基礎を学びデビューした。
関西を拠点に舞台やオーディションなどをこなしながら芸を磨き、週1回のレギュラーステージを得たこともあったが、実情はなかなか思うような実績を上げられずにいた。当時、関西では先輩芸人の天竺鼠(鹿児島出身)やウーマンラッシュアワー、ジャルジャル、銀シャリなどが劇場を沸かしていた。
デビューして2年が過ぎた頃、楠さんは心身の修業を積む目的で一時お笑い活動を休止した。その間の約1年間、つなささんはピンで活動することとなる。その後、2人での活動を再開したものの一進一退の現状に若干の限界を感じはじめていた。
ちょうどその時、所属する吉本興業の主催で住みます芸人の選考会が行われることを知り、二人はよい転機と捉え、すぐに挑戦を決意。そこに審査員として来ていた現在のマネージャーの目にとまった。
「オーディション当日の夜、すぐに二人を飲みに誘って〝鹿児島で一緒にしませんか〟と持ちかけました。当時、会社は別なタレントを推してきていましたが、会社に〝突パイでなければ仕事を辞めます〟と告げました」と二人のマネージャーを務める宇都晋平さん(㈱よしもとデベロップメンツ)。原石とも言うべき二人と出会い、自身の故郷でもある鹿児島でぜひ面白いことをやってみたいと決意した瞬間を語る。
「住みます芸人プロジェクト」は、創業100年を迎える吉本興業が次の100年構想の一環事業で、鹿児島を含む地方という「場」を若手のお笑い芸人に与え、笑いを通じて地元の食材や観光地、行事などで地域を盛り上げながら、全国にその魅力を情報発信することを主な目的としている。
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「とにかく突パイと面白いことをしたい。それが結果、地元のためになればなお嬉しいです」と宇都マネージャー。鹿児島担当のほか宮崎も担当。宮崎住みます芸人「ちきんなんばん」のマネジメントもこなす。
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多彩な仕事に対応できる芸を磨く
二人は地元に拠点を移すと、使命どおり鹿児島のPRを積極的に展開。ご当地食材を紹介する全国番組のコンテスト企画で、鹿児島の食材を取り上げた自主製作動画が評価され、今年9月、最優秀住みます芸人としてグランプリに輝いた。
「今、鹿児島全域で仕事をさせていただき、たくさんの方と仲良くなる機会もいただいています。県内の各地域に僕たちに情報をくださる地元の方々もいて、ある意味、鹿児島県民チームとして全国へ面白いことをPRしています」とつばささん。
「全国に誇ることができる鹿児島の良い素材が僕らの手で殺されないように、ふわりと抱っこしてもらうイメージ」とあくまでも鹿児島を引き立たせる脇役に徹すると楠さんは話す。
突撃パイナップルは、漫才や話術だけでなく、特に仕切り(司会業)にも力を入れており、本市の祭りやイベントの運営関係者も〝盛り上げ上手〞と口をそろえて絶賛する。現在、テレビや舞台以外にも、漫才のワークショップや講演会の講師を務めるなど、活動範囲は年々広がりを見せている。
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「臨機応変に対応するつばささんとシュールな楠さんの掛け合いが絶妙で、打ち合わせの時からすでに面白い」と市内のイベント運営関係者の評価も高い。司会でも場を盛り上げる。
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鹿児島住みます芸人となってみて、楠さんは「大阪でバイトをしながら舞台に立っていた頃のほうが、はるかに経済的には余裕がありましたが、今の仕事は、その頃よりも一回一回の勝負感が計り知れなく、よい刺激をもらってます。仕事量に関しては、漫才やコントの舞台は減りましたが、その分営業やテレビの仕事が増えています。心がすり減ることも多いですが、今まで鍛える機会の少なかった力を鍛えることができています」と話す。鹿児島の美味しい食べ物にも毎日助けられているという。
「(大阪時代の)劇場でする漫才と違って、今はイベントやお祭りで漫才をします。お客さんとの距離感が近いので、漫才のやり方も自然と変わりました。お客さん参加型の漫才が生まれたのは住みます芸人になってからですね」とつばささん。最近は調理師や保育士などの資格を活かした仕事も増え、それに伴い、関連知識についてより深く学ぶ時間を設けるなど、お笑い以外の分野にも積極的にチャレンジする姿勢を大事にしている。
コンビとしては「小学生からの幼なじみなので、それが活きるような漫才やコンビネーションの質を高めたいです。芸人の土台である漫才、トーク、舞台上での仕切りも引き続き強化していきたい」と意欲的だ。
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「個人的には、早く親孝行ができる人間になりたい。芸人としての目標はジムキャリーに〝イカしてるね〟と言われること」と将来の目標を語る楠さん。
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「ほかの芸人にはできない分野をより強化していきたい」とつばさん。個の力を磨くことも忘れない。
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マネージャーの宇都さんは「色々な方とお会いする機会が増え、現場の対応力や、場の空気の読み方など、芸人としてはもちろんですが、人間的にも頼もしくなってきた」と冷静に見守る。
「突撃パイナップルの強みは、実は無くて困ってます。面白い部分はあるはずなので、一人でも多くの人に気づいてもらえるよう、日々がむしゃらにがんばるだけです」と謙虚さもにじませる楠さん。
目標は「全国区の芸人として日本中を笑いの渦に巻き込むこと。でも、まずは鹿児島で大きな功績を残したい」と抱負を語るつばささん。温かい声を掛けてくれる地元・鹿児島のために何か恩返しができないか常に心掛ける両者の眼差しは熱い。
今後も本市出身の彼らから目が離せない。
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看板番組の打ち合わせの様子。いつも笑いが絶えない。
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2017年11月取材
「とつぱい」プロファイル
経緯/略歴
1988年
楠、つばさ誕生。
1991年
重富中学校で同じ部活同(テニス部)になる。
意気投合し、親交を深める。
2009年
地元・重富温泉でコンビの契りを交わす(21歳)。
2010年
NSC(吉本興業の養成所)でお笑いの基礎を学ぶ。
2011年4月
デビュー(23歳)。関西を中心に活動開始。
2014年
楠、活動一時休止、つばさピンで活動。その後、再結成。
同年12月
鹿児島住みます芸人となる。
笑いで姶良市を盛り上げる「あいら笑活性PR大使」に就任。
2018年
3月解散。4月から楠は東京へ、つばさは鹿児島に残り、芸人活動を続ける。
主な受賞歴
おもスポグランプリ受賞(2016年)
大手自動車メーカーと吉本興業が共同企画したプロジェクト「おもスポグランプリ」で、これも各地の住みます芸人が地元観光地の動画を自主制作して紹介。南九州市のタツノオトシゴハウスを取り上げた作品が、60作品の中から日本一おもしろいスポットとしてグランプリを獲得している。その後、同ハウスは自動車のCMロケ地として使用され、この年の集客率や売り上げ(2倍)など地域・経済振興に大きく寄与。
関連サイト「2016 沖縄国際映画祭(外部サイト)」
最優秀住みます芸人グランプリ受賞(2017年)
各地のご当地食材を紹介するNHK『ごごナマ』で、各地の住みます芸人たちが各自地元をPRする動画を自主制作でインターネット上に配信し、作品の再生回数や番組関係者などで審査される。突撃パイナップルは枕崎のカツオを取り上げ、見事、最優秀住みます芸人としてグランプリに輝く。褒美として、西川きよし師匠が二人と鹿児島ロケをするに至った。この企画では以下のとおり継続的なエントリー作品の投稿を積み重ねた。
3月
「絶景おやつ」
→磯海岸から臨む桜島と両棒餅(ぢゃんぼもち)
4月
「ご当地弁当」
→桜島の灰を使った絶品駅弁(姶良市)
5月
「ふるさとのお菓子」
→九州最南端のお茶所の郷土菓子・あくまき(姶良市)
6月~9月
「ふるさとのブランド食材」
→捨てるトコなし!丸ごと味わいつくす枕崎のカツオ
※住みます芸人NO .1としてグランプリに輝く。
関連サイト「ごごナマ(外部サイト)」
ヘアスタイルの変貌
突撃パイナップルの特徴とも言うべきヘアスタイル。住みます芸人になってからの髪型の変化をまとめてみた。
つばさ
赤→ゴールド→茶色→黒
楠
黒→帽子頭→ショートボブ→ゴールド
ヘアスタイルについて、つばささんは「単純に覚えてもらうために当時は赤色にしてましたが、コンビバランスなどを考えて話し合った結果、僕は今、黒にしています」と話す。「そのとき一番したい髪型にしてますね。金髪は気に入ってるんで長く続きそうです」と楠さん。(2017年11月時点)
初々しいスーツ姿の二人。住みます芸人に着任した2014年当初は楠さんが黒、つばささんが赤のヘアカラーだった。余談だが、楠さんはこの頃、スーツを着ても華奢な体型だとわかるが、今はソフトマッチョに変貌。時間がある時に姶良市内のジムでワークアウトに励んでいる。
コンビ名誕生のエピソード
コンビ名の「突撃パイナップル」は、当初ゲンを担いだ名前にしようと人気お笑い芸人の名前を分析するなどして多くの候補を考えたが、結局決まらず1か月ほど悩んだ。そのような中、ある朝、楠さんが寝起きとともにパッとひらめいた名前がこの「突撃パイナップル」だった。
「今までいろいろと由来を言っていますが、実はすべて後付けの話。本当は瞬間的なひらめき」と秘話を語る楠さん。
レギュラー番組(テレビ/2017年11月末時点)
MCT南九州ケーブルテレビネット
「突撃パイナップルのわっぜかTV」 毎週月曜日
KKB鹿児島放送
「ぷらナビ+」 毎週土曜日 9:45-10:30
MBC南日本放送
「かごしま4」 毎週木曜日 15:50-16:50
突撃パイナップル
楠(左/本名:楠浩明)
パイナップルつばさ(右/本名:有村翼)
※プロフィール詳細 吉本興業(外部サイト)
姶良小、重富中出身の同級生、楠(左)とつばさ(右)の漫才コンビ。平成26年12月12日に姶良市を笑いで盛り上げる「あいら笑活性(わらかせ)PR大使」に就任。つばささんは調理師や保育士、茶道などの資格を持つほか、将棋はもう時期初段の腕前。楠さんは、痔で入院した際に読書にめざめ、物語作品を中心に愛読する読書家。笑いに貪欲でほとんどのネタの大筋を策する。本業である漫才も常に磨き続け、漫才日本一を決めるコンクール「M-1グランプリ」(ABC朝日放送)やコントのコンテスト「キングオブコント」(TBSテレビ)にも毎年挑戦している。
Twitter
楠 @kusukidayo(外部サイト)
つばさ @tsubasa2A(外部サイト)
広報あいらAIRAview
平成27年11月15日号掲載
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