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更新日:2015年1月7日

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平成25年

 平成25年12月 不断節季~冬来たりなば~

枕草子の一節に「冬はつとめて」とあります。「つとめて」とは早朝の事で、最も冬らしく美しい時とされています。私も体力作りの為、早朝のウォーキングを日課としていまが、自分の足で歩くことで普段見えない色々なものが肌に感じられます。
年末は何かと気忙しく、それは師の由来にも見て取れます。「師」とは偉いお坊さんのことで、時間の長さはどの月も同じはずなのに、普段落ち着いた人が忙しく駆け回るたとえはそれに拍車を掛けます。
ところで、今年の話題としてNHK連続テレビ小説「あまちゃん」があり”じぇじぇじぇ?は流行語にもなりました。また、東北楽天イーグルスの日本選手権制覇も東北の皆様に勇気と希望を与えてくれました。これらのことは、遠く南国鹿児島に暮ら
す私たちにとっても心温まる出来事でした。
「しわす」の別説に、「一年の最後に為し終える」ことから「為果す」とする説があります。一年の汚れを落とす大掃除や忘年会などは年末に終える代表的なものですね。私は一期目の仕上げを年明けに三か月残しますが、節目としての終止符を打つのではなく、しっかりとした句点を打って次のステップに向かわなければなりません。新しい年に向けて、驕ることなく姶良市の進むべき道を真摯に導いていくためにも、この一年を自省したいと思います。
桜が爛漫に咲き誇れるのは、冬の厳しい寒さを耐え忍んだからなのです。合併後の幾多の苦難を、市民の皆様と乗り越えてきたからこそ迎えられる春があることを信じたいと思います。

 平成25年11月 疾風勁草~風に向かう~

二十四節気の一つ立冬を過ぎ、暦の上では冬となり、日毎に下がる気温にも冬の足音が聞こえてくる頃となりました。布団の温もりが恋しくなり、何も予定のない日に布団の中でゴロゴロするのはまさに至福の時ですね。
晩秋から初冬にかけて吹く冷たい北よりの強風のことを「木枯らし」と呼びます。木枯らし一号は、立冬とだいたい同じ頃に吹くことが多いことから、冬の使者とも呼ばれます。また、この時期に時折、気まぐれに暖かいぽかぽかした気候になることがあ
りますが、それを「小春日和」と呼びます。本格的な冬へ向かうひと時の安らぎでしょうか…。
さて、十一月は別名、神帰月とも呼ばれます。十月に出雲の国に集合されていた神様達が地元へ帰ってこられるのです。出雲での会議では、一般的に人の運命について話し合われるそうです。来年の事を言うと鬼が笑うなどと申しますが、できる事な
ら、いち早く未来の事を知りたいと思いませんか?
また、「縁結び」の相談はうまくまとまったでしょうか…。私は決して運命論者ではありません。しかしながら、姶良市に良い”気?が流れていることは確かであると思います。今はその流れに掉さして、勢いに乗り続けることが大切であるとも思います。
凧が高く上がるのは、風に向かっているときであり、決して風に流されているのではありません。冷たい木枯らしにも顔をそむけることなく対峙していきたいと思います。

 平成25年10月 五穀豊穣~秋の夜長に~

今年も金色の稲がたわわに実りました。我々の祖先がその昔稲作を始めてから、脈々と受け継がれた原風景です。かのマルコ・ポーロが思いを馳せた「ジパング」の輝きは、稲穂の波にも重なるのかも知れません。
秋と言えば、芸術・食欲、そしてスポーツの秋でもあります。1964年10月10日は、前日の土砂降りから一転、世界中の青空を集めたような「日本晴れ」となりました。東洋の魔女の金メダル、円谷の銅メダルの力走、三宅兄弟の金と銅…。子供ながら
にその当時のことが鮮やかに蘇ります。そして、待望久しかった2度目の東京五輪が開催されることになりました。7年という歳月は、少年少女たちが世界の檜舞台に立つための力をつけるには十分な時間であると思います。常に努力し続けることは素
晴らしく、「成功とは結果」ではなく、「挑戦をやめてしまった時が失敗」なのではないでしょうか。そして、物事には限界は無く、それは「自分自身が作ってしまうもの」なのかも知れません。スポーツのみならず、無限の可能性を秘めた子どもたちの輝ける未来を応援したいものです。
さて、これから建設される新国立競技場はドーム式となり、開会式等の天候を気にすることは無くなりましたが、天候に一喜一憂する大会運営も人間味があると思うのは昭和生まれのノスタルジーでしょうか。秋の夜長に月を愛で、自然の恵みの五穀
豊穣に感謝して、若山牧水の如く”酒を静かに嗜んでみるのも一興かと。

 平成25年9月 ふるさと姶良~遠きにありて~

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」古今和歌集の秋歌の冒頭を飾る歌です。視覚ではなく聴覚で風の音の変化に秋を感じた描写は、都会にいてはなかなか実感できないでしょう。ゆったりと夕陽が落ちるところがふるさとなのかもしれません。
今年で九回目となる関西かごしまファンデーが八月四日、京セラドーム大阪で開催されました。鹿児島を熱く愛する稲盛和夫氏を会長とする関西鹿児島県人会総連合会を中心に、三万人を超える入場者で会場は熱気に包まれ大盛況でした。
また、待ち望まれていた東海地区における姶良ふるさと会が七月十三日、皆様方のご尽力により発足することができました。「ふるさとは遠きにありて思うもの」と室生犀星は謳っています。その詩の解釈は様々あるにしても、ふるさとを持っていることの素晴らしさに異論はないところです。当日ご参加いただいた中には、ふるさとを離れて五十年以上になる方もおられ、すっかり名古屋弁が板についていらっしゃいました。
さて、発足会もお開きになり、お見送りの際には、「来年も来るからね」とありがたい言葉をいただきましたが、そのアクセントがいつの間にか“鹿児島弁“に戻っていたのは言うまでもありません。私は「ふるさと姶良」を、遠く離れた皆様と共有できることを誇りに思います。

 平成25年8月 蝉時雨~喧騒の中の静寂~

夏の暑さを”油照り?とも表現しますが、その暑さをさらに倍増させるのが蝉の鳴き声です。特にアブラゼミは、「ジリジリジリ」と聞こえる鳴き声が油の煮えたぎっている音に似ているためその名がついたそうです。
途方もなく長い時間を地中で費やした蝉たちは、それに比べれば一瞬ともいえる夏の刹那を鳴き競います。蒲生八幡の境内に足を踏み入れると、大クスの木漏れ陽と共に、時雨の様に蝉の鳴き声が降り注ぎます。しかし、不思議なことにその喧騒のなかでも限
りなく深い静寂を感じ、額に汗がにじんでいても心には涼やかな風が吹き抜けるのです。まさに、芭蕉の名句「閑かさや岩にしみいる蝉の聲」を体現できる気がします。
蒲生の大クスは、遠い昔から毎年違う蝉の声を聴き続けているわけで、夏を限りの喧騒も日本一の巨樹の前では、矛盾することなく静寂へと包み込まれてしまうのでしょう。
さて、お盆が過ぎ、ツクツクボウシが鳴く頃には朝夕は心持ち秋の気配が見え始めます。元気に遊び呆けた子どもたちも少し宿題の事が頭をよぎる頃でしょうか。蝉時雨の喧騒は蝉たちの生きた証であり、その鳴き声の変わり目と共に季節も移ろうのです。。

 平成25年7月 六月灯~遠い記憶~

私の幼い頃は、まだ各家庭にテレビは普及しておらず、夕食後には、涼を求めて商店街を散策する人々が多く見られたものです。六月灯の頃となると、丹精込めて育てた「おもと」「蘭」や「生け花」を裸電球の照明のもと、長台に展示する大人たちの姿を多く目にした記憶があります。子ども心に華やかさを感じたものです。
六月灯(ろっがっどー)の由来は、島津光久公が上山寺新照院の観音堂を造立して参詣した折、たくさんの灯籠をつけさせたので、家臣や領民たちが、藩主に習って各地の神社や観音堂に灯籠を奉納したのが始まりと言われています。七月に行われるのに「六月灯」なのは、旧暦での呼称なのです。
今でも、市内の各地で六月灯は継承されていますが、いつの時代も、幼い子供たちが浴衣掛けで、小さい手を親にひかれながら、淡い灯籠の灯りに導かれて参拝する姿は、実に愛らしく、郷愁を感じる光景です。日本人(鹿児島人)としての心を強く感じます。そういう私も幼い頃、強い硫黄の匂いのランプに照らされて、必死に金魚すくいや、ボンボン釣りに興じたものです。その当時(昭和三十年代後半)は、皆、決して裕福ではなかったですが、隣近所の付き合いも深く、心豊かで、何か躍動感ある時代だったように思います。
今年も、六月灯の季節がやってきました。浴衣に団扇、下駄の音・・・それぞれの地域において、新たな想い出が生まれることでしょう。

 平成25年6月 山滴る~緑の情景~

六月上旬から中旬の「田植時」に、まっすぐ伸びた緑色の早苗が植えられる様は初夏ならではの情景です。皐月の頃は褐色の濁り水を湛えていましたが、田んぼも一気に夏色が進み、まさに”山滴る?頃となりました。田んぼを耕し始めると、目ざとい鳥たちがトラクターの後に連なります。白鷺、烏、雀…。蓮華に覆われていた地中には様々な虫たちが潜んでいたのです。市も観光や企業振興にと色々と発掘中ですが、まだ気づかない”お宝?がたくさん潜んでいるのかもしれませんね。
ご存じのとおり、米という字は分解すると八十八となります。米作りはその字の如く、手間が掛かります。米作りが日本に根付いた要因の一つに、勤勉な民族性も挙げられるのではないでしょうか。機械化が進み、作業風景も様変わりしてきましたが、厳しい自然が相手である事に変わりありません。
さて、市に在る”三坂?をご存知でしょうか?「白銀坂」「龍門司坂」そして「掛橋坂」のことです。合併後の三年間に、市も大きな坂を幾つか越えてきました。四年目の今年は節目の年でありますが、「緑の情景」が市の今の勢いに重なります。実りの時期を市民の皆様と共に迎えるために、目先に惑わされず、着実に坂を上り続けたいと思っております。

 平成25年5月 薫風~五月の風~

風薫る五月といわれる、さわやかな季節となりました。五月の風に泳ぐ鯉のぼりは、中国の故事「登竜門」に由来しており、黄河の上流に在るその滝の名から加治木の「龍門滝」の名がつけられたと言われています。
四季折々、風の呼び名にも趣が感じられます。今年は桜の開花が例年になく早かったですが、その桜を散らす風を”花風?と呼ぶそうです。
「花風」に背中を押されるように大きな希望を胸に校門をくぐった新入生のみなさん。学校に慣れましたか?また、新社会人として、大きな一歩を踏み出した皆さんも、少し余裕が出てきた頃でしょうか。
さて、風は目には見えませんが、木々や草花の間を抜ける際に、その音や匂いによりその存在を知ることができます。何気なく脇をすり抜けていく風は単なる空気の流れではなく、人の心を揺さぶるような「重さ」を持っていると思います。
「薫風」は初夏に木々の間を吹き抜ける心地よい風のことです。現代病の一つに五月病がありますが、気分が晴れなかったり、困難に直面した時には、ぼんやりと薫風に吹かれてみるのもお勧めです。風の匂いの中に妙薬が潜んでいるかもしれません。

 平成25年4月 想いをつなぐ

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今年の桜は例年になく早咲きで、網掛川公園の桜見も先月末がピークでした。
春は、別れと出会いの季節とも言います。市内の小・中学校などでは、卒業式から入学式と慌ただしい時が過ぎました。市役所でも、定年等によって退職した職員もいますが、今月1日付けで10人の若者を新規に採用しました。彼らには、一日も早く市民の皆さまに役立てるよう指導を重ねたいと思っています。

私は小学校の卒業式で、先日テレビで放映された「下町ロケット」というドラマを紹介しました。私が見たのは再放送でしたが、池井戸潤さんの小説を原作にしたもので、日本の純国産ロケット「H2」の開発をモチーフにしたドラマです。

「H2」ロケットは、町工場から大手メーカーまで、日本のものづくりの粋を集めて作られたロケットですが、その開発の歴史は苦難に満ちており、失敗の連続でした。立ちはだかる幾多の困難を、技術者たちは創意工夫と試行錯誤で乗り越えていきます。

ドラマは、種子島宇宙センターの真っ青な空へ打ち上がっていくロケットのシーンで終わるのですが、三上博史さんが演じた主人公・佃航平の「挑戦の終わりは、新たな挑戦の始まりだ」というセリフは、何とも印象的でした。今、位置的に日本で一番宇宙に近いのは、鹿児島県です。その地元鹿児島大学でも、今年度打ち上げ予定のH2Aロケットの相乗り衛星として、超小型衛星2号機KSAT2が打ち上げを待っています。

この超小型衛星は、平成22年5月にH2A17号機で打ち上げられたハヤトの後継機で、大気水蒸気の観測や宇宙からの日本応援メッセージの送信など、7つのミッションを行うことを目指しています。H2ロケットの圧倒的な信頼性能は、多くの宇宙開発分野への挑戦に繋がっています。お陰さまで姶良市は、市政施行4年目に突入しました。第1次総合計画の基本理念を「県央の良さを活かした、県内一くらしやすいまちづくり」として、各種施策が順調に推移し、市としての環境整備が整いつつあると自負しています。

今、私は、姶良市のコミュニティのあり方について、基本的なインフラ整備と併せて考えています。新たな公共のあり方、行政として体制をどのようにシフトすべきか、新たな挑戦を始めたいと思っています。
(写真:春を彩る蒲生白男地区の芝桜)

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 平成25年3月 想いをつなぐ

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凛とした空気の中、少し早起きをして、南大隅町へ向かいました。第60回の記念大会として行われた県下一周市郡対抗駅伝競走大会最終日のことです。
駅伝競技は、日本で生まれたスポーツです。1本のたすきにチームの想いと絆を託して、ただひたすらゴールを目指すという、まさにチームワークの競技です。
私は姶良・伊佐地区体育協会会長として、例年、2日目の出水に泊まり、3日目の郷土入りまで応援していましたが、今年はやっと1日だけ調整できました。
約束の場所で監察車に乗り、姶良チームの選手の後を追いました。3区までは鹿児島、川辺チームと競り合いましたが、四区から首位を譲ることなく、2位を大きく引き離してゴール。4年ぶり20目の総合優勝を果たしました。
大会前、馬見塚監督は、南日本新聞社のインタビューに、「ライバルは地力のある川辺。総合優勝がどれだけ感動的ですごいことなのか、若い選手に体験させたい。”常勝姶良″への足掛かりとしたい。」と、答えています。
レースは監督の作戦どおりに展開し、完全優勝には至りませんでしたが、4日間の日間優勝を重ね、27の区間賞、うち5区間で区間新を記録しました。
監察車に同乗したのは、初めてではありません。選手の息遣いが聞こえるほど間近で走りの調子を見極めながら、持ち前の力を引き出していくのです。
選手の調子は、走りのピッチに表れます。ピッチの状況によって、選手へのかけ声を変えるのです。選手が自分との闘いに苦しんでいるとき、援軍となる言葉をかけるのです。ピッチのリズムに合わせた「ホイサー・ホイサー」もありますが、「区間賞が狙えるぞ」などの声で、選手の走りは見違えるように変化します。
各選手の個性と能力を見極め、チーム姶良を優勝へ導いた馬見塚監督の演出力は素晴らしく、「駒は揃っている」との前評判はありましたが、大きな感動をいただきました。
また、今大会でのもう一つの感動は、60回を機に導入された「ふるさと選手」として姶良市職員の山元城二さんが初出走したことです。出身地の川薩チームからの出走でしたが、胸には姶良市役所の文字が躍り、陸上を始めた高校時代からの夢を果たしました。
奄美の日本復帰などを記念して始まった県下一周駅伝大会は、今年で還暦を迎えました。昨年、還暦だった私にとっては、とても親しみ深い大会でもあります。離島を抱える本県ですので、離島での特別大会も検討されることを願っています。

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 平成25年2月 時事雑感

出窓の陽だまりに、猫が居心地よさそうに昼寝をしています。春の足音はまだ小さいのですが、遠くに聞こえてくる時節になりつつあります。
日本の総人口は、5年ほど前から減少に転じています。高齢化率(65歳以上の人口の総人口に占める割合)が、21%(超高齢化の基準値)を超えたからです。
国立社会保障・人口問題研究所が昨年1月に公表した「日本の将来推計人口」によると、人口減少と高齢化のスピードは、今後ますます速まると予測されています。
具体的には、現在の人口は約1億2800万人ですが、50年後には約8700万人、100年後には4千万人台に減少する可能性があるというのです。4千万人というのは、江戸時代の人口に匹敵することになります。
いわゆる人口減少社会の対応策は、国家レベルの検討を行う必要がありますので、国家、社会の持続性という観点からも、国民の英知を結集することが大切だと思っています。
昨年末の政権交代により、年末に安倍内閣が発足しました。先月28日には通常国会が召集され、初日、安倍晋三首相は所信表明演説で、どれだけ働いても暮らしが良くならない日本経済の危機、遅々として進んでいない東日本大震災からの復興の危機、我が国固有の領土、領海、領空や主権に対する挑発が続く外交・安全保障の危機、世界に伍していくべき学力の低下が危惧される教育の危機という4つの危機を挙げ、未来の日本を脅かしているこれらの危機を、何としても突破していくという強い決意を表されました。
我が国が直面するこれらの危機は、日本人が自信を失ったことによるとし、危機の突破へ国民の協力、奮起を訴えられました。
国民の協力、奮起は、先の大戦敗戦後、昭和23年に首相を務められた故芦田均氏の言葉を引用し、戦後の焼け野原の中で「将来はどうなるのだろうか」と思い悩む若者たちを諭して、「どうなるのだろうか」と他人に問いかけるのではなく、「我々自身の手によって、運命を開拓するほか道はない」というものです。
最近の尖閣諸島や竹島の領土問題で、「平和ぼけ」した日本人という言葉を耳にします。日本経済の再生を第一に掲げる安倍内閣。その他山積する課題も含め、国の総力を挙げて打開しようとする決意と意気込みは十分伝わってきました。
所信表明の説明不足との指摘は、間もなく開かれる日米首脳会談や来月に予定されている平成25年度予算案の提出に伴う施政方針演説の内容に期待したいと思っています。また、基礎自治体の姶良市も、国の動向を注意深く見守っていきます。

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 平成25年1月 巳の年に思う

十二支の「巳」は、本来、「し」と読むとのことです。
『漢書律暦志』では、「止む」の意味の「巳」とし、草木の生長が極限に達し、次の生命が作られ始める時期と解釈しています。これを「ヘビ」としたのは、庶民に十二支を浸透させるため、動物の名前があてられたようです。
そんな「巳年」が明けました。

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昨年は、依然として政治経済は混迷を続け、年末に行われた総選挙で、政権が交代することになりました。基礎自治体の姶良市として、山積する課題にどう対応していくか、国の動向をしっかり見極めていく必要があります。
ところで、一昨年3月11日に発生した東日本大震災は、我が国の観測史上最大級で、地震と津波に加え、東京電力福島第一原子力発電所の事故が重なりました。発災からやがて2年が経過しようとしています。一日も早い復旧・復興を願っていますが、私たちが東日本大震災から学ぶべきことは、想定外に備えるということです。
現代に暮らす私たちは、19世紀の産業革命を経て、自然科学に基礎を置く科学技術の飛躍的な進歩によって、史上まれなる豊かで快適な生活を手に入れました。
しかし、この豊かさの中には、制御が極めて困難なリスクをはらんでいたのです。このことは、一つに地球温暖化による気候変動として現れています。また、事故原因がいまだ明確になっていませんが、原子力発電所事故による放射能汚染は、制御が極めて困難なリスクの象徴的なものだと考えています。
経済的な豊かさの追求によって、社会基盤の整備・充実が図られ、私たちは、いわゆる暮らしやすさを享受してきました。
最近、ブータン王国のGNH(国民総幸福量)に関する本が売れているそうです。ブータン王国は、中国とインドに挟まれたヒマラヤの小国です。GNHは、GNP(国民総生産)重視の経済発展政策に疑問を投げかける概念として、注目されているのです。幸福感は、何によって満たされるのでしょうか。

かつて、冬は寒く、夏は暑かった。その中で春を待ち、往く秋を惜しむ心は豊かでした。美しい四季の移ろいの中で、凛然とした日常がありました。また、健康で清貧を尊ぶ生活がありました。そんな日々を取り戻すべきだと思っています。「豊かさ」とは、本来、心の様相を表す言葉です。
これからも、市民の皆さんが真の豊かさを実感できるよう、心の通い合う市政を行わなければならないと、新年を迎え改めて思っています。

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