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黒江学01

100年後の鹿児島に思いを馳せる錦江湾の恵みを届ける塩職人

 「第一印象で覚えてもらえるように」と緑や黄、赤の原色の目立つ衣装に「黒江」の文字、しおと書かれた帽子がトレードマークの黒江さん。住吉(三船)で錦江湾の海水を使用した製塩を営む。「塩づくりは母から、ばあちゃんの話を聞いたのがきっかけ」と話す。
 17歳のときにサーフィンに出会い、有名な波乗りスポットがある日向市に移住。廃棄・資源物処理の会社に勤務しながらサーフィンに打ち込んだ。「サーフィン後の日課は海岸の清掃活動」と仕事やマリンスポーツの影響でより環境問題を考えるようになったと当時を振り返る。その後、姶良市に戻り、母親から奄美の祖母が以前塩づくりをしていた話を聞く。ピンとひらめいた黒江さんは、自分が生まれ育った鹿児島のシンボルでもある錦江湾の海水で塩をつくってみたいと思い立ち、商品名も「海うまれ山そだち錦江湾にしきの塩」と名付けた。自己流ではじめた塩づくりは思うようにいかず、日々苦戦した。そんなとき、甑島でつくられる「こしきの塩」と出会い転機を迎える。製造者に連絡し、すぐに会いたいことを伝え、つぎの日に甑島へ渡った。「本当にすぐ来たね(笑)」と驚かれたと同時に熱意が伝わり、快く製塩方法を指導してもらい、その後幾度も島へ足を運んだ。「今でもよき師匠」と交流は続いている。


 製塩は、1回に1000ℓの海水を使用し、約4日間かけて鉄鍋で炊きあげる。燃料は薪や廃材を利用し、高温多湿な作業場で水面に浮きあがる不純物をこまめに取り除く。炊きあげた海水は10分の1まで濃縮され、うっすらと琥珀色に変わると火を弱め、鍋の底に真っ白な塩が沸くまで時間をかけて炊き続ける。最後は専用の竹かごでこすと約20キロの塩ができる。手間と時間がかかる技法だが「ふるさとを思い出す塩を届けたい」と鹿児島を離れて暮らす郷土出身者などの話の種となり、親しい人との会話が弾む団らんになってほしいと胸を躍らせる。


 製塩の傍ら、自然保護の啓発活動にも取り組んでいる。子ども向けの塩づくり体験講座や出前授業などの自然保護の啓発にも力を注ぐ。「自然のすばらしさや大切さを伝えたい」と100年後の錦江湾でも塩づくりができる自然豊かな鹿児島を未来につなげたいと願う。その活動はマスコミやSNSでも取り上げられ、講師や出店依頼の声もかかり、様々なイベントに参加。ラジオの出演やテレビのレポーターとしても活躍し、にしきの塩自体の認知度も高まっている。「塩でつながる縁に助けられている」とたくさんの人の支えでにしきの塩はできていると感謝する。
 塩づくりを応援し続け、誰よりも塩の商品化を楽しみにしていた最愛の母・須那子さんだったが、完成する前に他界。一番のよき理解者だった母の思いが後押しする。「家族や大切な人と囲む食卓で、楽しく交わす会話の調味料になればうれしい」と黒江さんの「塩道」の修業はつづく。

黒江学01

塩つくりの応援者の協力のもと、手づくりで製作した塩釜。石灰質などの不純物を丁寧に取り除き、雑味のない塩本来の味わいをだす。

黒江学02

塩つくり体験では、製塩の工程や実際にできた塩を味見するなど、自然や食の大切さを体感してもらい、食育の一環にもつなげている。

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