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人を笑顔にするプロをめざして

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心から楽しめる体験をみなさんにお届けします ―― 。

「そいやっ!はっ!よいしょ!」と大きな声と和太鼓のリズミカルな重低音が祭りの会場に響き渡る。圧巻の迫力を放つ勇ましい姿で太鼓を叩く一方、弾ける笑顔と陽気な話で会場を盛り上げる内村竜大さん。「まつり芸人」という自ら考えた肩書きを持ち、芸能分野に長けたマルチな活動を通して姶良を盛り上げる。
 内村さんが和太鼓と出会ったきっかけは父である。初代から太鼓坊主に入座していた父の影響で物心つく前から太鼓に触れ舞台に立っていた。父の熱き背中をみて育った内村さんはいつのまにか太鼓にのめり込んでいった。自身が二十歳を過ぎたころから先輩方が引退。内村さんが座員の中で教える立場になった。「技術や知識がない自分では次の世代に繋いでいけない、このままではだめだ」との思いで長野県にある「まつり芸能集団 田楽座」に入座を決意した。
 田楽座に入るためには「太鼓」「踊り」「唄」「笛」「しゃべり」の5科目の試験を受けなければならない。持ち前のポテンシャルで狭き門を見事突破。23歳の時に入座し、芸能漬けの生活が始まった。朝5時から10キロのランニングと筋トレ、活舌トレーニングなどの体づくりからスタートし篠笛や太鼓に踊りの練習など芸能に全力を注ぐ毎日。絶え間なく鍛え学んだ一日が終わるのは早くても21時頃だった。精神的にも体力的にも削られる日々だったが、そんなきつい日々でも浮かぶのは家族や地元の仲間の顔。母から送られてくる白金酒造の芋焼酎をたしなむ時が癒しのひとときだった。そして、7年間田楽座で学び一人前になるための下地ができたと内村さんは故郷へ戻る決意をした。

指導様子

 和太鼓教室の様子。老若男女問わず参加している。

 帰郷し、まつり芸人の活動を始める傍ら、思い出の味である白金酒造の焼酎を学びたいと就職。伝統を繋いでいく酒造りに惹かれ仕事に精を出した。そこではムードメーカーとして広報でも活躍。この経験が現在の活動に活かされていると内村さんは話す。
 10代の頃、ある祭りで地元の方が話した「若い人がやりたいことを上の代の人たちがフォローしてやらせてくれる、引っ張り上げてくれる――そういう存在が祭りやコミュニティだよ」という言葉が胸に響き、祭りを含めた芸能で地域を盛り上げていく現在の活動の基盤になっている。
 太鼓をはじめ、日本の伝統文化を未来の子どもたちに繋いでいきたいと日々幅広く活動する内村さん。姶良のエンターテイナーの進取果敢な活躍に今後も注目だ。

傘まわし

 内村さんの芸の一つである「傘まわし」。縁起が良いと言われている。

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