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日本のゴルフ界を背負う

20240215姶良人

ゴルフで人に勇気や希望をもたらす。

 ゴルフ界を牽引する「日本プロゴルフ協会(略称:PGA)」の会長を務めるのは蒲生町在住の吉村金八さん。自身も26歳からプロゴルファーとして活躍し、65歳まで選手としてゴルフに打ち込んだ。
 吉村さんがゴルフクラブを初めて握ったのは21歳のとき。学生時代にアルバイト先の上司から「ゴルフは仕事で役立つ」と誘われたのがきっかけだった。初めてのラウンドでハイスコアを叩きだし、所属していた会社の常務に「プロゴルファーをめざした方がいい」と背中を押され、本格的にプロをめざし始めた。24歳のときには熊本県の玉名カントリークラブに従業員兼ゴルフ研修生として入り、腕を磨いた。雨の日も欠かさず毎日クラブを振り、周囲から心配の声を掛けられるほどがむしゃらに練習を重ねた。「ゴルフは自分とコースとの戦い。どの状況でも自分をいかに良いコンディションに持っていくかが大事」とあえて悪条件下でも反復練習を重ね、ぶれない精神力とプレイスタイルを確立させた。

日々のたゆまぬ努力が実り、26歳で念願のプロテストに合格。2年後の1980年に蒲生カントリークラブに移籍し、プロとしてクラブを振った。選手時代に印象に残っている試合を尋ねると、1988年第53回日本オープンゴルフ選手権での一戦を挙げた。当時一流ゴルファーとして活躍していたジャンボ尾崎選手と中嶋常幸選手と同じ組でしのぎを削った。惜しくも敗れたものの、自身の持ち味である強気に攻めるプレイスタイルを存分に発揮できたラウンドだったと振り返る。
 吉村さんが現在の会長職に就任したのは令和4年3月。「選手・関係者、約5800人に及ぶ全体のことを考えなければならない」と大きな組織の端々に目を配ることの大切さを話す。協会内は競技・事業・広報など様々なセクションに分かれ、それぞれが重要な役割を果たしている。その中で、営業にさらなる注力が必要だと考え、会長自ら「マーケティング委員会」を設立。大会運営に欠かせないスポンサーへの営業などを促進させた。自らが先陣を切って営業に回ることもしばしば。同時に、健全な組織運営をめざし「ガバナンス委員会」も立ち上げ、誰からも認められる団体づくりに寄与。その他、吉村さんの功績は多岐に渡る。「ゴルフは人に勇気や希望を与えることができる」とゴルフがもつ力を噛み締め、普及活動に尽力している。残りわずかの任期で、次世代に良い形でバトンを渡せるよう今日も奮闘する。(令和6年2月15日時点)

20240215姶良人

 プロ入り7年目には、日本で30人しかいないシード選手に選ばれ、ゴルフ界を代表するトップアスリートとして活躍。60歳の時にはシニアのシード選手になり、65歳まで大会に出続けた。ゴルフ場の芝生の重要性に目を向け、芝生を作る会社に所属していた時代もあり、芝生のエキスパートとして各ゴルフ場を回ることも。野菜作りやガーデニングが趣味で、憩いの時間だと笑顔で話す。

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