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時代を超える想い育む。

姶良人2021年9月号

薩摩のスピリットを現代に

加治木島津家十三代当主の島津義秀さんは島津義弘公を祀る精矛神社の神主として奉職し28年。建立から100年以上が経つ歴史ある社殿を地域とともに守り、祈年祭や供養祭などの祭事を執り行う。年中行事の中でも六月灯や太鼓踊りの奉納は心待ちにする人も多く、神社は住民同士がつながり、心休まる場所として親しまれている。
 就職するまで県外で過ごしていた義秀さんが自らのルーツである薩摩への想いを強めたのは大学時代。剣道をたしなんだ経験も相まって「地元で大切に残されているものを学びたい」と野太刀自顕流に入門。二の太刀を必要としない一撃必殺の剣の修練に励んだ。同時に薩摩の武士たちが士風のたしなみとして大切にしていた幻の笛「天吹(てんぷく)」と、人としての生きざまを説いた「いろは歌」を学ぶため奏でられた「薩摩琵琶」も習得し、現在では薩摩独自の教育システム「郷中教育」を通して次世代につなぐ活動に力を入れている。
 郷中教育は今でいう〝こども会〟のような地域において自主的に発生した学びにいそしむ集団のこと。「現代にこそ人材育成に求めらる仕組みだと感じます」と義秀さんは、少年団や学習塾の台頭で郷中教育が衰退し、昭和60年から活動が休止していた学舎「青雲舎」をOB数名とともに平成12年に再興。先輩が後輩を指導し、同輩はお互いに助け合ういわば〝学びながら教え、教えながら学ぶ〟郷中教育の姿を復活させた。「幕末から明治という激動の時代を生き抜いた多くの薩摩の偉人たちもこの中で強い絆と精神力を培いました。情報があふれ座学に陥りがちな社会ですが、実践的なチャレンジで〝生〟の学びを感じてもらいたい」と願いを込める。
 義弘公没後400年が過ぎた今でも、かつての家臣団の末裔たちは、先祖が抱いた義弘公への感謝の心を受け継ぎ境内の清掃や行事の加勢に数多く参加する。「高齢の方が多いが実践するパワーがすごい。人のつながりや想いは数百年の時を超えても変わらないことが証明されています」と義秀さんは郷中教育の本質が地域に根付き、引き継がれることで今もなお残っていると笑顔。遠い先祖を身近に感じながら、薩摩の教えを音に乗せ、後世に届ける。

野太刀自顕流

 「薩摩の初太刀は必ずはずせ」と新選組の近藤勇も恐れた秘剣「野太刀自顕流」の稽古の様子。木の束に一心不乱に木刀を振り下ろす「続け打ち」は特徴的。写真は精矛神社の一角にある道場で撮影。

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