TOP > ストーリー > 遠い先祖と想い重ねて

ここから本文です。

遠い先祖と想い重ねて―。

2021051705

舞を捧げ、平穏な日々願う。

 さかのぼること江戸時代。不治の病といわれた疱瘡(ほうそう)別名、天然痘が世界中で大流行。徳川将軍家はじめ歴史に名を連ねる偉人の感染も史料に残されており、非常に強い感染力に神の仕業と人々は恐れた。本市の山田地区では猛威を振るう疱瘡を克服するため地元の女性衆が悪病退散を願う踊りを奉納した。今に伝わる「下名疱瘡踊り」の起源である。
 「時代が変わって踊りは主に祝いの場で披露する民俗芸能になってます」と話すのは下名疱瘡踊り保存会会長の村岡佐代子さん。疱瘡はWHO(世界保健機関)の徹底した感染症対策で封じ込みに成功し、1980年5月、地球上から消え去ったと世界根絶宣言が発表された。以降、疱瘡踊りの持つ意味も変化し地域の伝統舞踊として受け継がれ、今では山田の里かかしまつりや正月の鬼火焚きなど地域を代表するイベントで披露されている。しかし、新型コロナウイルスの世界的な蔓延に保存会のメンバーから「今こそ踊ろう」と声が上がり、昨年5月に山田の凱旋門のもとで踊りを奉納。14歳から80歳まで15人の踊り手が新型コロナウイルスの平癒を祈り集った。「人々の願いと伝統が重なったような瞬間でした」と村岡さん。疫病退散を目的に踊られるのは実に約130年ぶりたったと話す。
 現在の下名疱瘡踊りは入退場の道楽、出端(ほた)、薩摩新橋の3曲を続けて踊る。「振り付けを覚えるのは大変だけど、お互いに指導したりアドバイスしたりいい雰囲気です」と踊り手同士で声を掛け合いながら練習にも熱が入るのだという。感染症対策で今はできないが練習後のお茶飲みも楽しみのひとつで、深める絆が息の合った踊りを生み出している。「山田地区外の方でも希望があればぜひ一緒に踊りたい」とメンバーの拡充にも積極的。「CDに保存された三味線や歌も生でできたら最高ですね」と笑顔を見せる。
 「踊りを通して地域とつながる喜びをこれからも噛みしめていきたい」と村岡さん。かつて疱瘡が根絶されたように、新型コロナウイルスを恐れなくてもいい穏やかな世の中を願いながらメンバーたちと舞い、祈りを捧げる。

2021051702

 上名の黒島神社や帖佐の米山薬師に奉納されていた疱瘡踊り。明治19年の疱瘡大流行を最後に踊りは祝いの場で披露されてきた。昭和49年には市の無形民俗文化財に指定されている。

2021051703

 昨年、5月にはコロナ終息を願い山田の凱旋門で踊りを奉納。

2021051704

 踊りを披露する地域行事の前には週2回集まって練習を重ねる。扇子の持ち方や足の運び方、裾をつかみながらの独特な振り付けなども、先輩から後輩へ着々と継承。「人の願いに寄り添う踊り。メンバー全員がひとつになって表現できるのがうれしい」と踊りの意味を噛みしめ一体となる。

ページの先頭へ戻る